5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。
8 それでその町に大きな喜びが起こった。
ステパノの死をきっかけに、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされて行った。イエスが「種蒔く人のたとえ」の中で語っておられた状況が訪れたのである。
伝道者ピリポは、2 つの民族的なバウンダリーを越えて行く。①大きなバウンダリーは、サマリヤ人との間にあったものである。②それよりも小さなバウンダリーは、エチオピア人の改宗者との間にあったものである。「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」。ピリポがサマリヤ人伝道に着手したのは、画期的なことであった。ここで、ユダヤ人とサマリヤ人の敵対関係について確認しておく。
(1)アッシリヤ捕囚の際、約束の地に留まることを許された北王国の住民たち(ユダヤ人)がいた。アッシリヤは、異民族をサマリヤの町々に住まわせたので、ユダヤ人と異邦人の雑婚により、サマリヤ人と呼ばれる民族が出現した。2列王記17:25 ~ 29 にある説明は興味深い。①異民族たちは、その地で偶像礼拝を始めた。②【主】は獅子を送り、彼らを罰した。③彼らは、アッシリヤの王に助けを求めたので、王は捕囚になっていたユダヤ人の祭司をベテルに送り、【主】を礼拝する方法を教えさせた。④それでも、民はめいめい自分たちの神々を礼拝した。
(2)サマリヤ人たちは、ヤハウェ礼拝と偶像礼拝を混合させた。それが、サマリヤ宗教(Samaritanism)と呼ばれるものである。サマリヤ宗教の特徴は以下のようなものである。①唯一の神を礼拝する。②モーセを敬う(モーセの五書だけを受け入れる)。③安息日を守り、割礼を実行する。ユダヤ人から見れば、サマリヤ宗教は異端である。その結果、ユダヤ人たちは、サマリヤ人と交流しなくなった。
(3)捕囚からの帰還後、関係はさらに悪化した。①サマリヤ人たちは、神殿建設への参加を申し出たが、断られた。②そこで彼らは、あらゆる手段を講じて工事を妨害した。③ユダヤ人たちは、ゲリジム山にあった神殿を破壊した。④サマリヤ人たちは、夜中に死体数体を神殿に運び込み、敵討ちをした。⑤紀元1 世紀には、両者の関係は最悪の状態になった。
そのバウンダリーを、ピリポが越えたのである。神は、いかなる人でも分け隔てをすることがない。私たちも、父なる神の愛を反映させた歩みをしよう。
きょうの祈り
父なる神よ。あなたの愛に差別はありません。あなたの愛を実践できるよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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