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使徒の働き8:5 ~ 8

5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。

6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳をかたむけた。

7 けがれた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風ちゅうぶの者や足のなえた者は直ったからである。

8 それでその町に大きな喜びが起こった。

サマリヤ人伝道(1)

文脈の確認

ステパノの死をきっかけに、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされて行った。イエスが「種蒔く人のたとえ」の中で語っておられた状況がおとずれたのである。
伝道者ピリポは、2 つの民族的なバウンダリーを越えて行く。大きなバウンダリーは、サマリヤ人との間にあったものである。それよりも小さなバウンダリーは、エチオピア人の改宗者との間にあったものである。「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」。ピリポがサマリヤ人伝道に着手したのは、画期的なことであった。ここで、ユダヤ人とサマリヤ人の敵対関係について確認しておく。

敵対の歴史

(1)アッシリヤ捕囚ほしゅうの際、約束の地に留まることを許された北王国の住民たち(ユダヤ人)がいた。アッシリヤは、異民族をサマリヤの町々に住まわせたので、ユダヤ人と異邦人の雑婚により、サマリヤ人と呼ばれる民族が出現した。2列王記172529 にある説明は興味深い。異民族たちは、その地で偶像礼拝を始めた。【主】は獅子ししを送り、彼らをばつした。彼らは、アッシリヤの王に助けを求めたので、王は捕囚になっていたユダヤ人の祭司をベテルに送り、【主】を礼拝する方法を教えさせた。それでも、民はめいめい自分たちの神々を礼拝した。
(2)サマリヤ人たちは、ヤハウェ礼拝と偶像礼拝を混合させた。それが、サマリヤ宗教(Samaritanism)と呼ばれるものである。サマリヤ宗教の特徴は以下のようなものである。唯一の神を礼拝する。モーセをうやまう(モーセの五書だけを受け入れる)。安息日を守り、割礼を実行する。ユダヤ人から見れば、サマリヤ宗教は異端である。その結果、ユダヤ人たちは、サマリヤ人と交流しなくなった。
(3)捕囚からの帰還後、関係はさらに悪化した。サマリヤ人たちは、神殿建設への参加を申し出たが、断られた。そこで彼らは、あらゆる手段を講じて工事を妨害した。ユダヤ人たちは、ゲリジム山にあった神殿を破壊した。サマリヤ人たちは、夜中に死体数体を神殿に運び込み、敵討かたきうちをした。紀元1 世紀には、両者の関係は最悪の状態になった。
そのバウンダリーを、ピリポが越えたのである。神は、いかなる人でも分けへだてをすることがない。私たちも、父なる神の愛を反映させた歩みをしよう。

きょうの祈り

父なる神よ。あなたの愛に差別はありません。あなたの愛を実践できるよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書24~25、詩篇75~76