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使徒の働き7:54 ~ 60

54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」

57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。

58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。

59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」

60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

ステパノの死(2)

町の外での処刑

「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」。(1)これは、詩篇110:1 への言及である(ペテロは、ペンテコステの日のメッセージでこの聖句を引用した)。(2)「人の子」には、2 つの意味がある。人間を意味する場合。メシアの称号(ダニ7:1314)。イエスは、「ダビデの子」よりも「人の子」というタイトルを好まれた。(3)人の子が神の右の座に座しているというのが通常の表現であるが、ここでは、「神の右に立っておられる」となっている。主イエスは、最初の殉教者ステパノを迎えようとして立っておられたのであろう。
「人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した」。(1)群衆は、自分を制することが出来なくなった。(2)「いっせいに」は、「心を一つにして」(with one accord)という意味である。(3)「殺到した」は、ギリシア語で「ホルマオウ」である。ルカ8:33 で同じ動詞が使われている。「悪霊どもは、その人から出て、ぶたに入った。すると、豚の群れはいきなりがけをけ下って湖に入り、おぼれ死んだ」。豚の群れががけけ下るように、人々はステパノに殺到したのである。
「そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した」。(1)神殿域での死刑は許されないので、群衆はステパノをエルサレムの境界線の外に追い出した。怒っていても、その程度の判断力は残っていたのである。(2)ミシュナが示す死刑の手順は、こうである。罪人は、町の外の崖に連れ出され、着ている物をはぎ取られる。証人の1 人が、罪人を崖の下(最低3.6 メートル)に突き落とす(この段階で首の骨を折り、死ぬ可能性も大いにある)。別の証人が最初に石を投げ、次に、すべての証人たちが石を投げる。それに続いて、群衆が石を投げる。投石の正確さを確保するために、着物をぐ。
「証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた」。ここでサウロが登場するのは、使徒の働きの後半の展開を考えてのことである。「青年」(ネアニアス)とは、40 歳までの人を言う。恐らくサウロは30 歳前後であろう。サウロは着物の番をした。彼は議員ではないが、議会で何らかの地位が与えられていたのであろう。ガマリエルの筆頭弟子として、裁判を傍聴ぼうちょうしていた可能性は大である。
聖霊に満たされた人と、怒りに満たされた人の差は、あまりにも大きい。私たちに関しては、いかなる時も聖霊に満たされることを選ぼう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。怒りが悲劇を生むことを学びました。怒りにではなく、聖霊に満たされることを選びます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書16~17、ガラテヤ人への手紙6

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