44 私たちの父祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりに、造られていました。
45 私たちの父祖たちは、この幕屋を次々に受け継いで、神が彼らの前から異邦人を追い払い、その領土を取らせてくださったときには、ヨシュアとともにそれを運び入れ、ついにダビデの時代となりました。
46 ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの神のために御住まいを得たいと願い求めました。
47 けれども、神のために家を建てたのはソロモンでした。
48 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
49 『 主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。
50 わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。』
次にステパノは、神の臨在は神殿に限定されるのではなく、普遍的なものであることを証明しようとする。彼は、神殿の前に幕屋を取り上げる。
「私たちの父祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりに、造られていました」。(1)イスラエルの民は、荒野で幕屋を造った。これは、「あかしの幕屋」と呼ばれている。「あかしの箱」(契約の箱)が至聖所に置かれていたからである。「あかしの箱」には、十戒が書かれた石版が2 枚入っていた(出25:16)。(2)あかしの幕屋は、神がモーセに示した設計図どおりに造られた。幕屋の目的は、神の臨在がその中に現れるためである。神の臨在は、幕屋があった荒野に現れた。つまり、神の臨在が現れる場所は、エルサレムに限定されていないということである。(3)幕屋は、折りたたんで、持ち運び可能な構造になっていた。①イスラエルの民は、荒野の旅で幕屋を持ち運んだ。②イスラエルの民は、代々幕屋を受け継いで来た。③イスラエルの民は、カナン征服の際にも、幕屋をその地に運び入れた。(4)幕屋は、ヨシュアの時代からダビデの時代まで、用いられた。ダビデの時代には、神殿はまだ建っていなかった。
「ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの神のために御住まいを得たいと願い求めました。けれども、神のために家を建てたのはソロモンでした」。(1)ダビデは、神殿建設を願ったが、神殿を建てたのは、息子のソロモンであった。この時、神殿は幕屋に取って代わった。ステパノは、決して神殿を過小評価している訳ではない。ダビデもまたモーセと同じように、神から示された設計図を持っていた(1 歴28:19)。ソロモンは、その設計図に従って神殿を建設した。(2)しかし、ダビデとソロモンの意図(神のために家を建てる)とは異なり、神は人間が造った家に閉じ込められる方ではない。①神は、宇宙の創造主である。②天は神の王座、地は神の足の足台である(1 列8:27、イザ66:1 ~ 2、使17:24 など参照)。
ステパノは、神殿での礼拝を否定しているのではなく、神殿を正しく位置づけることの重要性を指摘している。神殿が不要になる時代が来ようとしているが、その時代への準備は出来ているかと問うているのである。私たちの神は、宇宙の創造主であり、どこにでもおられる神である。その神とともに歩む人は、幸いである。
きょうの祈り
いと高き神よ。あなたは天地の造り主、どこにでもおられる神です。どうか、きょうも私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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