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使徒の働き3:1 ~ 5

1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。

2 すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。

3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。

4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。

5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。

生まれつき足の不自由な人の癒し(2)

美しの門の前に置かれた男

「すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日『美しの門』という名の宮の門に置いてもらっていた」。(1)「美しの門」(これは、ニックネームである)がどれかについては、3 つの可能性がある。町の外から神殿域に入る門(今日の黄金門の辺り)。異邦人の庭から婦人の庭に入る門(恐らくこれが、美しの門であろう)。婦人の庭からイスラエルの庭に入る門(ニカノルの門。をニカノルの門と呼ぶ人もいる)。(2)その門に、生まれつき足の不自由な人(40 歳あまり)が運ばれて来た。「生まれつき」とは、この癒しの偉大さを示す言葉である。美しの門の前は、「物乞ものごぎょう」の一等地であった。(3)エルサレム中の人たちが、この男の顔を知っていた。荘厳そうごんな門と足の不自由な男の対比は、制度的宗教の無力さを示すものである。(4)ユダヤ教では、「ほどこし」は賞賛しょうさんされるべき善行とされている。「施し」は、「ツェザカー」である(「正義」、「義」という意味)。ユダヤ人社会では、物乞いになるのは、他に方法がない場合に限定される。彼には、物乞いしか収入を得る方法がなかった(それで40 年間生活して来た)。

施しを求める男

「彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた」。彼は、自分が施しを求めている相手が誰かを知らなかった。また、彼らがどういう施しを与えてくれるのかも、知らなかった。
「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ」。(1)ペテロは、その男と個人的に関わることを開始した。その男は単なる物乞いではなく、神の愛の対象である。「私たちを見なさい」とは、自分たちに関心を引きつけるための言葉ではない。これから語ることに意識を集中させるための言葉である。(2)その男は、二人に目を注いだ。この言葉に従えば多額の施しを受けることが出来ると、期待したのであろう。(3)しかし、ペテロとヨハネは金銭を与えようとしたのではない。もしそうなら、信者の群れに向って、持ち物を売ってこの男に施しをしようと呼びかけたはずである。彼らは、力強い信仰を発揮し、それを通してメシアの力を示そうとしたのである。
私たちも、日々出会う人たちを「神の愛の対象」と見よう。そうすれば、伝道のチャンスが与えられるはずである。

きょうの祈り

天の父なる神さま。きょうも、神の愛を実践する機会を活かすことができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書46~47、コリント人への手紙 第一3