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使徒の働き3:1 ~ 5

1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。

2 すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。

3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。

4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。

5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。

生まれつき足の不自由な人の癒し(1)

使徒たちが行った奇跡

使徒2:43 には、こうあった。「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた」。「不思議」は「テラス」で、畏怖の念を引き起こす奇跡である。「しるし」は「セイメイオン」で、使徒たちの権威を証明する奇跡である。きょうの箇所でルカは、忘れがたい一つの奇跡を取り上げている。

午後3時の祈り

「ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った」。(1)午後3時の祈りの時間に、ペテロとヨハネが神殿に上って行った。ユダヤ教では、神殿ないし会堂での祈りが日に3度行われていた。午前9 時と午後3時の祈りは必須の祈りで、朝と夕のいけにえを捧げる時間に対応していた。正午の祈りは、自発的なものとして追加された祈りである。今日でも、正統派のユダヤ人は、日に3度祈りを捧げる(祈祷書を用いる)。ちなみに、朝の祈りはシャハリート(朝の光)、午後の祈りはミンハー(ささげ物)、夕べの祈りはマアリヴ(夕方)と言う。(2)敬虔なユダヤ人であった彼らにとって、神殿に上ることは当然のことだった。イエスをメシアと信じる信仰とユダヤ教との分離は、徐々に起こった。このことを覚えておこう。(3)初代教会の信者は全員ユダヤ人であった。彼らは、ユダヤ教の習慣を守ることに何の矛盾も感じていなかった。割礼の実行、安息日の遵守じゅんしゅ、食物規定の遵守などがそれである。(4)初期の教会は、数あるユダヤ教の分派の中の一つに過ぎなかった。新しく誕生した教会と他のユダヤ教の分派とを区別する要素は、「ナザレのイエスはメシアである」という信仰告白であった。
ルカは、初期の教会がユダヤ教の習慣を守っていたことを非難していない。当時のユダヤ人にとって、ユダヤ教は宗教生活だけでなく、社会生活や経済生活まで規定する規範であった。後に、異邦人信者を教会に迎える段階で、ユダヤ教の習慣の見直しが必要となった。
いずれにしても、ユダヤ教の伝統を守ることは救いの条件ではない。それを理解しているなら、メシアニックジューには自らのライフスタイルを選ぶ権利がある。ちなみに、異邦人はユダヤ教の伝統とはそもそも無関係である。日本人クリスチャンとして、偶像礼拝と決別しながら、日本文化の中で生きるとはどういうことなのか、黙想もくそうしようではないか。日本人としての特徴を活かしながら神をたたえることは、私たちの使命である。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。いま置かれている環境の中で、あなたを称えます。あなたの知恵で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書44~45、箴言28