6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」。(1)イエスは、テーマを「イスラエルの将来の王国」から「いま為すべき使命」に切り替える。イエスは、使徒たちは聖霊によって力を受けると語られた。彼らが聖霊を受ける場所は、エルサレムである。(2)しかし、いつ聖霊を受けるかについては、「もう間もなく」(5 節)とあるだけで、あいまいである。(3)聖霊を受けるための準備に関しては、何も語られていない。聖霊によるバプテスマは、神の一方的な恵みによって与えられるもので、人間の側の努力や行いによるものではない。
「そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」。使徒たちが「キリストの証人」となって活動することが本書のテーマである。「証人」はギリシア語で「マルタス」である。この使命は、教会全体で行うべきものである。使徒1:8 は、使徒の働きの区分にもなっている。(1)エルサレムでの伝道(2:1 ~ 8:4)。エルサレムは、メシアが十字架に付いて死に、葬られ、復活し、昇天した町である。ガリラヤ出身の弟子たちは、エルサレムを住まいとするようになる。ここは、初代のユダヤ人信者たちの教会が誕生した町でもある。また、イエスを拒否した祭司や律法学者たちが権威をふるっていた町でもある。(2)サマリヤでの伝道(8:5 ~ 25)。サマリヤ人たちは、ユダヤ人の遠い親戚に当たる人々である。彼らは、アッシリヤ捕囚以降、雑婚の民となった。独自の礼拝形式を持ち、ゲリジム山こそ神を礼拝する場所だと考えていた。(3)ユダヤでの伝道(8:26 ~ 12:25)。これは広義のユダヤで、ガリラヤ地方も含む概念である。ガリラヤ地方は、当時のパリサイ主義の拠点となっていた場所である。エルサレムは、サドカイ派の勢力が強かった。(4)地の果て(13:1 ~ 20:38)。「地の果て」とは、当時の用語で「異邦人の世界」を指す言葉である。初期のユダヤ人信者たちは、ディアスポラのユダヤ人への伝道のことだと考えていたはずである。時の経過とともに、彼らは、福音はすべての民のものだということを理解するようになる。(5)21 ~ 28 章までは、投獄されたパウロの活動を扱っている。
教会は、共同体として、キリストの証人である。任命の内容は、「キリストの証人」となることである。任命の領域は、「地の果てまでも」である。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私もキリストの証人です。どうか聖霊の力によって、福音を語らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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列王記第二19~20、ローマ人への手紙1
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