6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
弟子たちは、メシア的王国の到来に関する質問をした。それに対して、イエスはこう答えられた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています」。(1)イエスは、メシア的王国の出現に関しては否定されていない。つまり、ご自分が王として地上の王国を統治することは、否定していないということである。ただし、それがいつ実現するのかを詮索することは戒められた。(2)「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです」。①「いつ」は、「クロノス」(時)である。②「どんなとき」は、「カイロス」(時期)である。③つまり、「どれくらい先か、どういう状況でそれが成就するか、知らなくてもよい」という意味である。④「いつとか、どんなときとか」は、再臨の前に起こる重要な出来事を指す言葉である。(3)「それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています」。父なる神は、それを啓示しないことを選ばれた。それゆえ、父なる神以外には、受肉したイエスも天使も知らないのである。
使徒たちは、時間の経過とともに、イスラエルの救いはまだ先のことであることを理解するようになる(ロマ11:25 ~ 27 参照)。
置換神学は、イスラエルに与えられていた約束は教会が継承したと教える。つまり、教会がイスラエルに取って代わったと考えるのである。教会を「新しいイスラエル」とか、「霊的イスラエル」とか呼ぶのは、そのためである。この教えは、聖書を比喩的に解釈した結果出て来るものである。しかし、聖書を字義通りに読めば、神がイスラエルに与えた約束は終わりの日に必ず成就するという結論に至る。ユダヤ人のすべてがメシアを拒否した訳ではない。もしそうなら、使徒の働きは存在しないことになる。私たちは、教会史の最初の約7 年間は、異邦人信者が一人も出て来ないことを知るべきである(使10 章のコルネリオが最初の異邦人信者である)。
置換神学は、教会が犯した最大の罪である。この教えは、結果的に反ユダヤ主義を生み出した。また、終末論を混乱させた。神は、イスラエルに対しても、教会に対しても、個別の計画を持っておられる。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたのご計画は必ず成就します。きょうも主を信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
列王記第二17~18、使徒の働き28
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