10 ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。
11 するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」
12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。
13 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。
14 アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れて来たのか。
15 私に気の狂った者が足りないとでもいうのか。私の前で狂っているのを見せるために、この男を連れて来るとは。この男を私の家に入れようとでもいうのか。」
サウルを恐れていたダビデは、ペリシテの五大都市の一つガテまでのがれます。ここは、ゴリヤテの故郷でもありました。そこにダビデがゴリヤテの剣を帯びて行ったのです。(1)ダビデには、ガテの王アキシュを信頼してもよいというなんらかの確信があったのでしょう。(2)しかし、ダビデの正体は、すぐにペリシテ人にばれてしまいます。彼らは、ペリシテ人の英雄ゴリヤテを、石投げ器だけで打ち倒したダビデのことをよく覚えていたのです。(3)彼らはダビデのことを、「王」と呼んでいます。実際はサウルが王なのですが、ペリシテ人たちにとっては、ダビデこそ王のように見えたのです。(4)正体がばれたダビデは、ガテの王アキシュを非常に恐れます。そして、狂人を装った苦しい演技で、やっとの思いでそこを逃げ出します。
この出来事の中にも、ダビデの信仰の揺らぎが見えます。不信仰から始まったことは、より深刻な問題へと私たちを追い込んでいきます。悔い改めをもって、原点に立ち返ることが必要です。単純な信仰こそ、最終的に私たちを勝利へと導く力です。
その後、ダビデは主の前に悔い改めたようです。彼は、主への信頼を回復し、珠玉の詩篇を二つ書きました。それが詩篇56篇と、34篇です。ぜひこれらの詩篇を読んでください。順番は、56篇、34篇がいいと思います。人生で遭遇する苦難は、麗しいものを生み出す原動力となります。もしダビデがこの苦難に会っていなければ、これらの詩篇が生まれていなかったことを思い、苦難に対する自らの姿勢を正しましょう。
詩篇34篇には、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある」とあります。あなたは、あらゆる時に主をほめたたえていますか。賛美は感情ではなく、決断です。どんな時にも、主を賛美することを決断し、それを実行するのです。そうすれば、人知を超えた主からの平安が私たちの心に満ち溢れるようになります。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか、あらゆる時にあなたを賛美することができますように、私の決断を祝してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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