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サムエル記第一15:10~16

10 そのとき、サムエルに次のような主のことばがあった。

11 「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。

12 翌朝早く、サムエルがサウルに会いに行こうとしていたとき、サムエルに告げて言う者があった。「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。それから、引き返して、進んで、ギルガルに下りました。」

13 サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました。」

14 しかしサムエルは言った。「では、私の耳にはいるあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」

15 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」

16 サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、主が私に仰せられたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」

サムエルへの主からのことば

悔いる主

神は人間とは違い、後悔することはありません。それなのに、きょうの箇所では、「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる」と書かれています。何が起こっているのでしょうか。(1)ここで神は、人間的な表現を用いてご自身の思いをサムエルに伝えておられます。従って、「悔いる」ということばは人間的にではなく、神の視点から解釈せねばなりません。(2)神はサウルに対する態度を変更されました。サウルには条件つきの約束が与えられていたのですが、サウルがそれを破ったために、その約束は破棄されました。それが、「悔いる」ということばの意味です。(3)サウルは神に背を向け、神のことばを守ろうとはしませんでした。それがサウルの問題だったのです。そのため、彼が王位から退けられることは決定的になりました。

サムエルとサウルの対比

サムエルは、サウルに会う前に主からのことばをいただき、サウルが命令に従わなかったことを知りました。(1)サムエルは怒り、夜通し主に向かって叫びました。(2)サムエルはサウルが王として成功することを心から願っていたのです。それで、夜通し無理だと知りながらサウルのために執りなしの祈りを捧げたのです。
それに対してサウルは、実に軽薄に振舞っています。(1)彼は、ユダの町カルメルに戦勝記念碑を立てて自分自身をたたえました。(2)会いに来たサムエルに対しては、「主のことばを守りました」と答えています。(3)なぜ絶滅したはずの羊や牛の声が聞こえるのかと問われると、彼はその責任を民に転嫁しています。(4)さらに、最上の家畜を残したのは主へのいけにえのためだと言い逃れをしています。聖絶のものを主にいけにえとして捧げるのは、主への冒涜です。(5)本当の動機は、貪欲のゆえに最上のものを奪おうとしたことにあります。
罪人が滅びるとき、義人は悲しみます。それ以上に、神ご自身が悲しまれます。「わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。──神である主の御告げ。──だから、悔い改めて、生きよ」(エゼキエル書1832)という聖句を思い出しましょう。私たちは、決して滅んではなりません。悔い改めて生きる者となりましょう。

きょうの祈り

恵み深い神よ。どうか私に、サウルの心ではなく、サムエルの心を与えてください。滅びる者のために執りなす者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨシュア記1~2、ルカの福音書3