31 その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を打った。それで民は非常に疲れていた。
32 そこで民は分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場でほふった。民は血のままで、それを食べた。
33 すると、「民が血のままで食べて、【主】に罪を犯しています」と言って、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「あなたがたは裏切った。今ここに大きな石をころがして来なさい。」
34 サウルはまた言った。「民の中に散って行って、彼らに言いなさい。『めいめい自分の牛か羊かを私のところに連れて来て、ここでそれをほふって食べなさい。血のままで食べて【主】に罪を犯してはならない。』」そこで民はみな、その夜、それぞれ自分の牛を連れて来て、そこでほふった。
35 サウルは【主】のために祭壇を築いた。これは彼が【主】のために築いた最初の祭壇であった。
無意味な規則、厳格すぎる規則は、往々にして予期せぬ結果をもたらすことがあります。
(1)敵をミクマスからアヤロンまで追撃したイスラエルの民は、その日断食をしていたために疲れ切っていました。(2)彼らは、禁止期間が終わるとすぐに、分捕り物の家畜に飛びかかり、血のままでその肉を食べました。(3)血を絞り出さないで生肉を食べるのは、モーセの律法の違反です(レビ記17:10~14、申命記12:23~25)。サウルの愚かな誓いが、考えられないような罪を民に犯させる結果となりました。(4)これにはサウルも大いに驚いたようです。彼は早速石を持って来させ、そこで血抜きができるよう配慮しています。(5)その石はそのまま主のための祭壇ともなりました。これは、サウルが築いた最初の祭壇です。彼にはいけにえを捧げる資格はありませんでしたので、祭司に命じて、その祭壇の上で罪のためのいけにえを捧げさせたのでしょう。
アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてモーセも、主のための祭壇を築いています。しかし、これらの信仰者たちが築いた祭壇と、サウルの祭壇との間には、天と地ほどの違いがあります。アブラハムを始めとする信仰者たちは、主に感謝し、主を礼拝するために祭壇を築いています。しかし、サウルの祭壇は自らの失敗を覆うための見せかけの祭壇でした。祭壇の意味もその力も信じていない者に、本物の祭壇が築けるはずがありません。
主イエスは、宮に上ったパリサイ人と取税人の祈りを例に取って、見せかけの信仰では神を喜ばせることができないことを教えてくださいました。パリサイ人は、自らの行為を神の前に誇り、感謝しました。取税人は、心を痛めて悔い改めの祈りをしました。そしてイエスはこう言われたのです。「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」(ルカ18:14)。私たちも、サウルの祭壇ではなく、アブラハムの祭壇を築こうではありませんか。
きょうの祈り
天の父よ。どうか日々アブラハムの祭壇を築き、あなたに賛美と感謝のいけにえを捧げることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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