1 エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。
2 エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。
きょうからサムエル記第一の学びに入ります。エルカナという人が、エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムという町に住んでいました。ラマタイム・ツォフィムは、ラマと同じです。エルカナにはふたりの妻がいました。ひとりはハンナ(恵みという意味)、もうひとりはペニンナ(真珠という意味)でした。当時の習慣や律法の教えを考慮しますと、恐らく次のようなことが起こったのでしょう。エルカナはまずハンナをめとったのですが、ハンナが子を産まなかったために、さらにペニンナを妻に迎えたのでしょう。かくして、不妊の女ハンナと子を産んだペニンナの間に確執が生まれるようになりました。
ハンナが不妊であることから、サムエル記第一の物語は思わぬ方向に展開し始めます。(1)本来不妊というのは、申命記7:14を根拠に、「神の裁きが下ったもの」と考えられていました。「あなたはすべての国々の民の中で、最も祝福された者となる。あなたのうちには、子のない男、子のない女はいないであろう。あなたの家畜も同様である」。確かに、不妊には神の裁きとしての面がありますが、すべての不妊がそうなのではありません。(2)神の時が来るまで、一時的に不妊の状態に留められる婦人たちがいました。ハンナがその好例です。(3)養子を迎え、その子を育てるために不妊状態に置かれる場合もあります。(4)神により良い奉仕ができるように、不妊状態に置かれる場合もあります。そのような婦人は、子供がいてはできないような素晴らしい奉仕をするようになります。
決して人を外見で裁いてはなりません。人間的に不幸と思えることの背後にも、神の深い計画が隠されていることが多いからです。あなたは、人間的に不幸だと思えるようなことを抱え込んで嘆いていますか。視点を変えれば、神の素晴らしい計画が進展することがあることを思い、神に依り頼みましょう。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたのご計画は、人知をはるかに超えたものです。私が置かれている状況を、すべて御手にお委ねします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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