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マルコの福音書16:19~20

19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕

イエスの昇天

昇天とは

きょうの箇所でマルコは、(1)イエスの昇天と、(2)弟子たちの宣教に関して、要約的な記述をしています。そのいずれもが、最低限の記述です。イエスの昇天の事実と意味を学ばずして、イエスの生涯の学びを終えることはできません。
昇天とは、イエスが地上の次元から、神の国の次元へと移されたことを表わしています。イエスが昇天されたと言っても、イエスのからだがどこか宇宙空間を漂っているわけではありません。イエスは神の右の座(栄光の座)に着座されたのです。「主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた」(マルコ1619)。「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです」(使徒2:33)。「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます」(Iペテロ3:22)。

実生活への適用

では、イエスの昇天は私たちにとってどういう意味があるのでしょうか。(1)昇天は、イエスの地上生涯の完成を告げると同時に、新しい時代の始まりともなりました。イエスは、大祭司として私たちのためにとりなしをしていてくださいます。私たちに聖霊が与えられるのも、私たちの生活が守られるのも、すべてイエスが大祭司としての働きをしておられるからです。(2)昇天によってイエスは、ご自身の人性を天の領域にまで持ち込まれました。イエスの受肉は、一時的な演技ではなかったのです。神の子イエスは、人間性を永遠にその身に引き受けなさったのです。なんという愛の奇跡でしょうか。イエスの人性が天に持ち込まれたということは、私たちもイエスにあって、天に導き入れられたということです。エペソ人への手紙2:6は、こう言っています。「(神は、私たちを、)キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」
昇天の意味を知ると、私たちの生き方が変ります。イエスを信じる者は、今既に、イエスにあって天の所に座っているのです。あなたはこれを信じ、圧倒的な希望と力に満たされていますか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。永遠の命の祝福が与えられていることを感謝します。今既に、私は天の所に座っています。きょうもこの確信をもってこの世に出て行きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

出エジプト記21~22、ヨハネの福音書10