14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。
きょうの箇所の並行記事は、ルカの福音書24:36~43に出ています。その箇所を参考にしながら、実際に起こったことを確認してみましょう。(1)弟子たちは、イエスが復活したという知らせを無名の二人の弟子たちから聞かされていましたが、すぐに信じることができず、それが事実かどうか論じていました。頭の中で論じることと、実際に復活のイエスに出会うこととは、全く別の次元の問題です。あなたの信仰は、論じるだけのものですか。あるいは、イエスが生きていて、私たちの祈りに答えてくださる方であることを体験している信仰ですか。信仰が体験的なものとなるように、熱心に願い求めましょう。(2)使徒たちは、イエスを見て恐れました。霊を見ていると思ったのです。これが、超自然的現象に触れた時の人間の自然な反応です。(3)次に彼らは、イエスの語りかけを聞いて、喜びました。しかし、嬉しさのあまりまだ信じられずにいました。人間の世界では、「うまい話には気をつけろ」と言います。しかし聖書は、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」(Iコリント2:9)と教えています。
あなたは、自分の頭で理解できないと信じないタイプですか。もし、不信仰と恐れのために心を閉ざしているなら、そこに甦りのイエスをお迎えしましょう。イエスは、あなたの心に「神の平安(シャローム)」を与えてくださいます。
不信仰な弟子たちを前にして、イエスは、「わたしの手やわたしの足を見なさい。わたしにさわって、よく見なさい」と言われました。そして、焼いた魚を召し上がられました。それは、弟子たちとともに食した和解の食事(最後の晩餐)を思い出させるものでした。これを通してイエスは、ご自身の愛と赦しを弟子たちに再確認させたのです。死後の甦りは確実に保証されたことであるとの確信を持った時、あなたの生き方はどのように変わると思いますか。あなたは、永遠に価値あるものだけを求めて生きていますか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか私が、信じない者になるのではなく、信じて命をいただく者となれますように、私に信仰を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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