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マルコの福音書15:27~32

27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。

29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。

30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。

32 キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。

十字架を取り巻く人々

二人の強盗

イエスといっしょに、二人の強盗が十字架につけられました。バラバは幸運にも釈放されたのですが、この二人はそうではありませんでした。3本の十字架が立ち、その真ん中にイエスが釘づけにされたのです。この情景は、イザヤ書5312の成就です。「‥‥彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする」とあるとおりです。
二人の強盗は、イエスをあざけりました。しかしルカの福音書23章によれば、そのうちの一人は後になって悔い改め、イエスに対する信頼を告白しています。クレネ人シモンと同じように、彼もまた十字架のイエスの祈りを聞き、愛に溢れたその姿を見ているうちに、イエスこそ聖書が約束するメシアであるとの確信に導かれたのでしょう。イエスを信じ、信仰の告白をするのに、遅すぎるということはありません。今が時です。

イエスをあざける人々

イエスをあざけったのは、二人の強盗だけではありませんでした。(1)道行く人々、(2)祭司長たち、(3)律法学者たち、また、(4)ローマ兵たちも、イエスを嘲笑ちょうしょうしました。その嘲笑には、二つの共通点があります。
(1)彼らは、イエスのメシア宣言をあざ笑っています。(2)次に、もしメシアなら、十字架から降りて、それを証明せよと呼びかけています。この二つの要素は、サタンの最後の悪あがきと見ることができます。サタンは、イエスが過越の祭りの間に十字架で死ぬようになることを、最も恐れていました。サタンは、何とかしてそれを阻止しようとして、「十字架から降りて来い」と挑戦したのです。しかしイエスは、最後まで父なる神のみこころに忠実でした。イエスは降りることもできたのですが、私たちの罪の贖いを成し遂げるために、十字架に留まり続けてくださいました。イエスの打たれた傷によって、私たちはいやされました。罪赦されました。十字架こそ、天の父が私たちに与えてくださった罪と死に対する答です。もしあなたの心の中に、「証明したら信じてやる」というような思いがあるなら、それはサタンから出たものです。ただちに悔い改め、主イエスを受け入れましょう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私もまた、道行く人々とともに、十字架から降りてこいと叫んでおりました。どうか、私の罪をお赦しください。サタンの声を退け、イエスを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

出エジプト記3~4、詩篇 7~8