1 それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
2 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。
3 ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
4 そこで、もう一度別のしもべを遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。
5 また別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これも殺してしまった。続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。
6 その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を遣わした。
7 すると、その農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
8 そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。
9 ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。
10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。
11 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」
12 彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、やはり群衆を恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。
イエスは、当時のイスラエルの霊的状況を「悪い農夫のたとえ」で的確に分析します。イスラエルをぶどう園にたとえるのは、旧約聖書の預言者たちがよく用いた手法です(イザヤ書3:14~15、5:1~7など参照)。ぶどう園の主人とは、父なる神です。ぶどう園はイスラエルの民、農夫たちはイスラエルのリーダーたち、そして、しもべは預言者です。3人のしもべたちが遣わされますが、農夫たちは、そのすべてを袋叩きにして、追い返します。3人のしもべたちとは、(1)捕囚期前の預言者たち、(2)捕囚期後の預言者たち、そして、(3)バプテスマのヨハネとイエスの弟子たちを指します。最後に遣わされたのが「愛する息子」、つまり、メシアです。しかし彼らは、その息子さえも殺します。これはイエスの十字架の預言となっています。ぶどう園の主人は、ついに重大な決断を下します。「彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます」。このさばきのメッセージは、紀元70年にエルサレムが崩壊した時に成就しました。
一般的には、このたとえ話から「神の国はイスラエルから取り去られ、異邦人に与えられた」と結論づけられます。この解釈は、「置換神学」に基づいたものです。「置換神学」とは、「イスラエルは神から見捨てられ、教会が新しいイスラエルになった」という神学的主張で、教会史の初期の段階(恐らく紀元3~4世紀頃)から採用されてきたものです。しかし、このたとえ話が教えていることは、「神のぶどう園は、当時のイスラエルのリーダーたちから取り去られ、別の世代の、別のリーダーたちに委ねられるようになる」ということです。イスラエルは神から完全に見捨てられたのではなく、時が来ると再び実を付けるようになります。その預言が、イザヤ書27:2~6にあります。
神は常に愛と忍耐をもって私たちに語りかけてくださっています。神からの語りかけを無視するなら、祝福を失うことになります。「神は愛する者を訓練する」ということばに耳を傾けましょう。神はあなたが豊かな実を結ぶことを期待しておられます。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたからの語りかけに耳を傾けることができますように。あなたの御声を聞いたなら、お従いできますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
歴代誌 第二23~24、詩篇145 ~ 146
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