2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
旧約最後の預言者マラキ以降、預言者の系譜は300年以上も途絶えていました。しかし、イスラエルの民には、終わりの日にはモーセのような預言者が現われるという期待感がありました(申命記18:15参照)。(1)ヨハネが荒野に現われた時、人々は預言者が現われたことを理解し、彼のもとに集まって来ました。荒野とは、本来神のことばが下る場所、神の声を聞く場所なのです。(2)ヨハネの出現は、イエス・キリストの福音の序曲となりましたが、それは旧約聖書に預言されていたとおりでした(出エジプト記23:20、マラキ書3:1、イザヤ書40:3)。(3)ヨハネは、「荒野で叫ぶ者の声」です。彼の使命は、やがて来られるメシアのために道を備えることです。
バプテスマのヨハネは、その存在自体がメッセージとなっている人物です。クリスチャンであるお互いは、自らの存在や生活を通して、他の人たちにどのようなメッセージを送っているでしょうか。きょう一日、「イエスの道備えとなるような生活」とはどのようなものなのかを意識しながら、生活の場に出て行きましょう。
ヨハネは、「罪が赦されるための悔い改めのバプテスマ」を説きました。「悔い改めのバプテスマ」とは、罪を悔い改めた後、悔い改めのしるしとして受けるものです。当時のユダヤ人の考え方は、傲慢に満ちたものでした。異邦人がユダヤ教に改宗するときには清めのバプテスマが必要だが、アブラハムの子孫である自分たちはその必要がないと考えていました。ヨハネは、そのようなユダヤ人の傲慢を打ち砕きました。彼は、悔い改めの緊急性と、具体的な実をつけることの重要性を教えました。神の側からのショック療法が施されたのです。
悔い改めることほど素晴らしいことはありません。悔い改めは、罪の赦しを体験し、平安と祝福を手に入れる方法です。悔い改めが必要なのは、未信者だけではありません。もし、私はクリスチャンだから悔い改めは必要ではないと思っているなら、それは誤った安心感です。瞬間瞬間、示された罪を告白し、生けるキリストとともに歩む喜びを保ち続けましょう。神は、私たちが砕かれた心で神に近づくのを待っておられます。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私の心にある罪を告白します。主イエス・キリストの血潮によって罪を清めてください。この祈りが聞かれたことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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