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士師記8:18~21

18 それから、ギデオンはゼバフとツァルムナに言った。「おまえたちがタボルで殺した人たちは、どこにいるのか。」すると彼らは答えた。「あの人たちは、あなたのような人でした。どの人も王の子たちに似ていました。」

19 ギデオンは言った。「彼らは私の兄弟、私の母の息子たちだ。【主】は生きておられる。おまえたちが彼らを生かしておいてくれたなら、私はおまえたちを殺しはしないのだが。」

20 そしてギデオンは自分の長男エテルに「立って、彼らを殺しなさい」と言ったが、その若者は自分の剣を抜かなかった。彼はまだ若かったので、恐ろしかったからである。

21 そこで、ゼバフとツァルムナは言った。「立って、あなたが私たちに撃ちかかりなさい。人の勇気はそれぞれ違うのですから。」すると、ギデオンは立って、ゼバフとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取った。

ふたりの王の処刑

罪に対する処罰

もし今の日本人に、「あなたは神の裁きを恐れますか」と尋ねると、どういう答が返って来ると思いますか。多くの人が、神の裁きなどないと答えるか、自分には関係ないと嫌な顔をするのではないでしょうか。多くの人が、自分の犯した罪など忘れてしまい、平気な顔をして生きています。ミデヤン人のふたりの王ゼバフとツァルムナもまたそのような生き方をしていました。このふたりは、ミデヤン人の攻撃を恐れてタボル山周辺の洞窟に隠れていたイスラエル人たちを虐殺しましたが、その罪に対する処罰を受けることになろうとは夢にも思っていませんでした。
虐殺された人たちは、ギデオンにとっては母方の兄弟たちだったようです。そこでギデオンは、殺された人たちの近親者として、ゼバフとツァルムナに対して「血の復讐」を行ないます。これは、正義に基づく刑の執行です。

長男エテル

ギデオンは自分の長男エテルに刑の執行を命じます。それは、若者に栄誉を与え、さらにふたりの王により深い屈辱を与えるためでした。しかしエテルは人を処刑した経験がなく、恐れのあまり剣を抜くことができませんでした。それを見ていたふたりの王は、ギデオン自身の手で処刑されることを求めます。彼らは、未経験の者の剣で処刑され、苦しんで死ぬことを恐れたのです。そこでギデオンが彼らを処刑し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを分捕り物として取りました。
よく言われるように、人は生きてきたようにしか死ぬことができません。ふたりの王は、苦しまないで死ぬことだけを願って人生の最期を迎えました。何という悲惨な人生でしょうか。罪の赦しの確信と永遠の命の希望を抱いて最期を迎える人は幸いです。しかし、死後の命があることと、すべての人が神の裁きの前に立たされることを知らずに死んでいく人はなんと悲惨なことでしょうか。「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます」(ヨハネ9:4)というイエスのことばを思い起こし、きょうも福音を宣べ伝えましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたを恐れることは知恵の始まりです。どうかきょうも、あなたを恐れつつ歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書28~29、詩篇77 ~ 78