1 さて、【主】の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。
2 あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。
3 それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」
4 【主】の使いがこれらのことばをイスラエル人全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。
5 それで、その場所の名をボキムと呼んだ。彼らはその場所で【主】にいけにえをささげた。
カナンの地をイスラエルの民に与えるというのは、主の約束(契約)でした。しかしその約束の受け手であるイスラエルの民は、カナン人(異教の民)をその地から追い出すことに失敗し、その上、彼らと契約を結び始めます。主の契約の民が、異教徒と契約を結ぶことなどあってはならないことです。ジレンマに陥った主は、以下のような行動を取られました。
(1)主の使いがギルガルからボキムに上って来ます。主の使いとは、三位一体の神の第二位格に当たるお方です。主の使いは神です。ギルガルというのは、ヨルダン渡河の直後に、ヨシュアが民に割礼を施し、過越の祭りを祝った場所です。ボキムとは、ベテルのことです(創世記35:8参照)。(2)主の使いは、イスラエルの民が主との契約があるにもかかわらず、この地の住民の祭壇を取り壊すことをせず、彼らと契約を結んでいることを糾弾します。
これ以降、主とイスラエルの民の関係にある変化が起こります。(1)カナン人を追い出すための戦いに、主は参加しなくなります。つまり、イスラエル人には主からの助けがなくなるということです。(2)カナン人はイスラエル人の敵となり、彼らの偶像はイスラエル人にとってわなとなります。(3)以上のことは、モーセの預言の成就です(出エジプト記23:20~33、34:1~11)。主に忠実でないなら、その地の住民を追い出すことができないというのがその預言の内容でした。
主の使いのことばを聞き、イスラエルの民は声を上げて泣きました。しかし、それは本当の悔い改めにはほど遠いものでした。これ以降、主がイスラエルの民に直接語りかける箇所が二度出てきますが(6:7~10、10:10~16)、その都度、イスラエルの民の霊的状態は悪化しています。私たちも、心を頑なにし続けるなら、主からの祝福が受けられなくなります。次のことばを思い出しましょう。「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた』。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(IIコリント6:2)。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか私に柔らかな心、砕かれた心をお与えください。あなたの助けを受けられるような歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書36~37、詩篇63 ~ 64
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