15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。
16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。
17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。
19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
「愛の律法」についての2回目の学びです。前回は、クリスチャンには自由が与えられているが、その自由は「愛の律法」によって制限されているということを学びました。鍵になる聖句は、ローマ14:17でした。「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです」
この聖句は、クリスチャン生活の3要素について教えている非常に重要な聖句です。(1)「義」とは「神との関係」に関する概念です。パウロはロマ書1〜8章で、義認、聖化、栄化について論じてきました。私たちは、キリストを信じる信仰によって、神との平和を持っています。これ以上の安心と喜びはありません。(2)「平和」とは「隣人との関係」に関する概念です。パウロはロマ書12 〜 15章で、神学的真理の適用を行っています。今私たちが学んでいるのは、どうすれば信者同志の間に平和な関係が維持されるかというものです。(3)「喜び」とは「自分の内面の状態」に関する概念です。「聖霊による」という言葉は、「喜び」にかかっている(修飾している)と考えてよいでしょう。この喜びは、利己的願望が達成された結果の喜びではありません。その程度の喜びなら、未信者でも日常的に経験しています。むしろこれは、自我が死ぬことから来る喜びです。自分に与えられている自由(権利)を制限するのは、自我を殺すことにほかなりません。それは、聖霊によって可能になることです。そして、それができた人には、「聖霊による喜び」が与えられます。
「このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう」(18〜19節)。(1)「キリストに仕える人」とは、弱い人への愛のゆえに、自由を制限している人です。その人は、自由を行使しないことを、自由に選んだ人です。(2)その人は、神に喜ばれ、人々にも認められます。クリスチャンにとって最も重要な行動の動機は、平和と霊的成長を求めるということです。
クリスチャンとは、キリストに仕える人であり、キリストの弟子です。弟子は、師の行いを観察し、それに倣います。きょう一日、キリストの弟子にふさわしい歩みをしようではありませんか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は心から、「キリストの弟子」になりたいと願います。きょうもキリストの足跡をたどらせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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