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ローマ人への手紙12:17 〜 21

17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

愛の勧め(12)

教会外の人たちも視野に入れて

「愛の勧め」についての学びが続きます。きょうの箇所(1721節)でも、6つの勧めが記されています(6番目はまとめです)。きょうの箇所では、教会外の人たちも視野に入ってきます。ただし、聖書が教える優先順位は、 まず同信の兄弟姉妹たちに、 次に教会外の人たちに、というものです。今回は、第2の勧めを見てみましょう。

2.すべての人が良いと思うことを図る

「すべての人が良いと思うことを図りなさい」17節b)とあります。(1)「図る」は、ギリシア語で「プロノエオウ」です。これには、あらかじめ考えるという意味があります。あらゆる状況に適切に対応するためには、みことばに親しみ、聖書的判断基準を身に付けておく必要があります。(2)この勧めには、旧約聖書の背景があります。パウロは、パリサイ派のラビとして旧約聖書に精通していましたので、箴言にも親しんでいたはずです。箴言3:4にはこうあります。「神と人との前に好意と聡明そうめいを得よ」。これは、「すべての人が良いと思うことを図りなさい」という教えと同じ内容です。(3)さらに、この勧めは、初期の信者たちの共通認識となっていました。彼らは、教会外の人たちから好意を持たれることに留意りゅういしました。その理由は、宣教論的視点があったからです。つまり、キリストの福音を伝達するためのさまたげにならないように、細心の注意を払っていたということです。パウロは、教会の指導者(監督)を選ぶ際の基準について、こう教えています。「また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです」(1テモ3:7)
しかし、現実的には「すべての人が良いと思うこと」を実行するのは不可能です。いくら善を図っても、必ず文句を言う人がいるものです。全員を満足させる政策や案は、政治の世界でも存在しません。では、この勧めの主旨をどう理解したらよいのでしょうか。私たちは、イエス・キリストを救い主として信じ、恵みによって救われました。その結果、キリストにあって新しい歩みをする者となりました。「福音が示唆しさする生き方を実践すること」こそ、私たちの責務です。自分が光の子らしく、光の中を歩んでいるかどうか、自己吟味をしてみましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私を「光の子」にしてくださり、感謝します。きょうも光の中を歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

申命記15~16、マタイの福音書23