9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
これまでに学んだ12章の内容は、① 献身の勧め(1〜2節)と② 謙遜の勧め(3〜8節)でした。今私たちは、③ 愛の勧め(9〜13節)について学んでいます。「愛の勧め」の中には、13の勧告が記されています。これらの勧めを実行する力は、聖霊から来ることを覚えましょう。きょうは、勧告の② と③ と取り上げます。
翻訳を比較してみます。「悪は憎み退け、」(口語訳)。「悪を憎み、」(新改訳)。「悪を憎み、」(新共同訳)。口語訳は、「憎み退け」と力を込めて訳していますが、原語の意味をよく表現していると思います。(1)愛は具体的に表現される必要があります。罪を憎むことは、その表現のひとつです。(2)ここでの「憎む」は、「忌み嫌う、ひどく嫌悪する、拒絶する」といった意味です。英語では、「abhor」がふさわしい訳でしょう。この状態は、例えば、自爆テロのニュースを見た時に私たちが感じるような心の動きです。(3)「この世(時代)」の価値観は私たちを麻痺させます。クリスチャンは「寛容は善である」と教えられていますが、それが敵(悪魔)に悪用されることがあるのです。その結果、悪に対して怒らなくなります。パウロは私たちに、罪に対して敏感であれと勧告しています。
翻訳の比較をしてみます。「善には親しみ結び、」(口語訳)。「善に親しみなさい」(新改訳)。「善から離れず、」(新共同訳)。口語訳は、「結び」という言葉を付加しています。これもまた、言語のニュアンスをよく伝えています。(1)「親しみ結び」と訳された動詞は、ギリシア語で「コラオウ」です。これは、1コリント6:16では、「遊女と交わる」という意味で使われています。「遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。『ふたりは一体となる』と言われているからです」。つまり、「コラオウ」は男女の親密な関係を指す動詞だということです。(2)信者は、悪を憎み退けるだけでなく、善と親しく結びつくようにとも勧められているのです。(3)以上のことは、すべて継続した行為です。みことばは、何が善であるかを私たちに教えてくれます。それゆえ、みことばの知識を日々更新するために、デボーションと聖書研究が必要となります。きょうも、善に親しみ結ぶことを心がけようではありませんか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。愛の表現として、悪を憎み、善に親しむことができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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民数記31~32、マタイの福音書15
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