3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。
今私たちは、「謙遜の勧め」について学んでいます。賜物の行使に関して最も大切なことは、「霊的プライド」を排除することです。ローマ12:6 〜8では、7つの御霊の賜物が上げられています。① は預言すること、② は奉仕すること、でした。今回は、③〜⑤までを取り上げます。「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい」(6〜8節)
「教える人であれば教えなさい」とあります。この賜物は、真理をまとめ、聞く人に分かるように語る能力です。言い換えると、霊的真理を伝達する能力でもあります。この賜物を持っている人は、全力でそれを行使するように勧められています。牧師になる人にはこの賜物が必要です。
この賜物は、真理を実際生活に適用するように人々を励ます能力です。教える賜物があっても、この賜物がない場合があります。また、その逆に、勧める賜物があるのに、教える賜物がない場合もあります。私たちはお互いを必要としています。
すべての信者は、愛の実践として分け与えることを実行するように召されています。しかし、中には特に「分け与えること」に秀でている人がいます。この賜物を持った人は、より多くのものを分け与えることができます。裕福かどうかは、この賜物の有無を判定する基準にはなりません。貧しくても進んで「分け与えること」のできる人もいれば、その逆もあります。収入の90パーセントをささげる人の話を聞くことがありますが、そのような人には、この賜物があるのです。
どのような御霊の賜物が与えられているにせよ、誠意をもってその賜物を行使することが重要です。自分に与えられている御霊の賜物を発見し、それを「みからだ」の建て上げのために用いようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。信者である私たちは、お互いを必要としています。互いの内にある御霊の賜物を認め、それを用いて仕え合うことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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