6 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。
7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
パウロは、イスラエル人は神の義について無知であると書いてきました。無知であるがゆえに、彼らは律法による義を追求してきたのです。そして、その義の基準に到達することができなかったのです。神の義とは、律法による義ではなく、信仰による義です。
パウロは、6〜7節で、信仰の義について説明しています。「しかし、信仰による義はこう言います。『あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない』。それはキリストを引き降ろすことです。また、『だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない』。それはキリストを死者の中から引き上げることです」。これは、申命記30:11〜13からの引用です。申命記のその箇所は、神の義は近くにあることを教えています。天に上ってそれを取って来る必要はないし、海のかなたに渡り、それを取って来る必要もないというのです。
パウロは、この聖句をキリストに適用しています。以下の5点がここでのポイントです。(1)神の義を得るために、天に上ったり、地の奥底に下ったりする必要はない。(2)神の義は、人間の業とは無関係に与えられるからである。(3)キリストはすでに、地上に下られた(受肉)。(4)キリストはすでに、よみがえられた(復活)。(5)人間の側で何かを付け加える必要はない。
「では、どう言っていますか。『みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある』。これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです」(8節)。これは申命記30:14からの引用です。以下の3点がポイントです。(1)神の義は、すぐ近く、手を伸ばせば届くところにある。(2)口で告白し、心で信じるのが神の義を得る方法である。(3)これが、パウロが伝えている「信仰のことば」(福音)である。
私たち人間は、無条件の愛、一方的な愛を体験しないままで成長します。そのため、信仰によって救われるという福音を聞かされても、すぐには信じられないのです。また、救われるために種々の条件を付け加えたりします。しかし、福音に何かを付け加えるなら、それはもはや福音ではなくなります。救いは、信仰により、恵みによって与えられます。救いは、神が私たちにくださる一方的な賜物です。私たちを救ってくださった神の御名をたたえようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたが啓示してくださった福音を感謝します。私は、信仰により、恵みによって救われました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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出エジプト記31 ~ 32、ヨハネの福音書14
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