6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
9 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」
10 このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、
12「 兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。
13「 わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。
1〜5節で、イスラエルには7つの特権が与えられていることを学びました。それにもかかわらず、イスラエルはメシアを拒否しました。では、神の計画は挫折したのでしょうか。パウロは、その疑問に答えようとしています。前回は、2つのイスラエル(民族的イスラエルと真のイスラエル)が存在することを学びました。きょうは、この箇所の2回目の学びです。パウロは、アブラハムの2人の息子に関しても、同じことが言えると論じています。
「アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる』のだからです。すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです」(7〜8節)。(1)アブラハムには2人の息子がいましたが、イサクだけが「約束の子ども」とみなされました。(2)ここでパウロは、創世記21:12を引用しています。「…その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ」。ここでは、「アブラハムの子孫」と言う呼び名は、イサクから出る者に与えられるということが教えられています。その背後には、神の選びがあります。
「約束のみことばはこうです。『私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます』」(9節)。(1)これは、創世記18:10の引用です。イサクは、アブラハムの肉の子であると同時に、約束の子です。アブラハム契約を継承するのは、ひとりだけです。(2)イシュマエルとイサクは、同じ父親から生まれた異母兄弟です。神は、女奴隷の息子であるという理由でイシュマエルを退け、イサクを選ばれたのでしょうか。もしそうなら、神の選びは血筋によって影響されたことになります。その誤解を解くために、パウロはヤコブとエサウの例を取り上げます。それは次回学びます。
イスラエル全体の中に、霊的イスラエルとそうでない者とが存在していたように、地域教会にも、真の信仰者とそうでない者とが混在しています。教会籍を持っていることは、救いの保証ではありません。イエス・キリストの福音を信じ、イエスを救い主として受け入れた者だけが救われます。信仰により、恵みによって救われていることを感謝しようではありませんか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたが与えてくださった方法だけが、唯一の救いの道です。信仰によって救いに入れられたことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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