13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
13節には「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです」とあります。ここで語られているのは、単純な「因果の法則(因果律)」です。(1)「肉に従って生きるなら、死ぬ」という文では、「肉に従って生きる」が原因であり、「死ぬ」というのが結果です。(2)「御霊によって、からだの行いを殺すなら、生きる」という文では、「御霊によってからだの行いを殺す」(継続した行為)が原因であり、「生きる」というのが結果です。
ここでは2つのものが比較されています。それは、肉的信者と霊的信者の比較ではなく、未信者と信者の比較です。「肉に従って生きる」人は、未信者です。「御霊によってからだの行いを殺す」人は、信者です。
14節には、「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」とあります。(1)私たちが神の子であることは、御霊に対する従順によって証明されます。(2)御霊が私たちを導かれます。あくまでも主体は、導かれる神(御霊)にあります。ここには、羊飼いが羊を導いて行くイメージがあります。私たちは、御霊という羊飼いに導かれる羊たちです。(3)神は常に私たちが御霊に従順であることを期待されます。しかし、私たちは時には不従順になることがあります。それでも御霊は、私たちを導かれます。常に私たちを導かれるというのが御霊の性質です。(4)神の子どもは、御霊に導かれています。それが、一度救いを経験したなら、2度と救いを失うことがないと確信できる根拠です。私たちが努力するからではなく、御霊が導かれるので、救いは完成するのです。
ピリピ1:6には、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです」とあります。と同時に、パウロはピリピ2:12でこう命令しています。「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい」。クリスチャン生活にはバランスが必要です。① 私は御霊に導かれているので、救いを失うことはない。② それゆえ、救いの達成に努めるのだ。これが御霊に従う人の生活態度です。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。御霊が私を導いてくださるので感謝します。御霊の導きによって、私は救いの完成を目指して進むことができます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
詩篇149 ~ 150
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