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ローマ人への手紙8:12

12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

神の子の義務

「ですから」の意味

ローマ8:11でパウロは、「聖霊が将来起こる肉体的復活の保障である」と教えていました。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」。これは預言的約束です。それを受けて、「ですから」という接続詞が置かれています。つまり、聖霊によって大いなる祝福が与えられたのだから、自らの義務を考えよということです。
次の12節は、神の子の義務とは何かを教えています。「ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません」。新共同訳では、「それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません」となっています。(1)「責任を負っている」、「義務がある」という言葉は、「債務者」を意味するものです。(2)私たちは、肉の性質(古い性質)の奴隷状態から解放されましたので、肉の性質に対しては負債を負っていません。つまり、それに従う義理も必要もないということです。(3)それに代わって、今は御霊に従って生きる義務が与えられています。これが信者の現状です。

人間の本質

ここで人間の本質を理解する必要が出てきます。カルト(異端)宗教から解放された人の相当数が、その後精神的に不安定になったり、元の組織に戻ったりします。その理由は、依り頼むべきものがなくなったために、心に空白ができるからです。人間には、完全に自立した状態になることなどあり得ません。真の意味での自立は、神だけに可能なことです。(1)クリスチャンになるとは、主人を変えることです。クリスチャンは、肉の性質から解放されて自由になり、次に、自発的にキリストのしもべとなります。(2)クリスチャンが負うべき責務とは、律法主義的な責務とは異なります。それは、御霊に従って生きるという責務です。御霊に従うなら、結果的に律法の要求は全うされます。
キリストにある自由を、放縦ほうじゅうな生活の口実にしてはなりません。私たちは、御霊に従うことによって、結果的に、律法の要求を全うする者となります。再度、自らのクリスチャン生活を吟味ぎんみしようではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私の人生の主人は変わりました。私には、新しい主人に仕える責務が与えられました。喜んでその責務を果たすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二35~36、ヨハネの黙示録22