5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
信仰により、恵みによって義とされた者の前には、2つの道が置かれています。ひとつは、未信者であった時に歩んでいた古い道です。もうひとつは、信者になってから歩み始めた新しい道です。信者はキリストにあって死んだので、古い道を歩く義務も必要もなくなりました。しかし、その古い道を自分で選び取って歩いてしまう可能性は残されています。
さて、5節には、こう書かれています。「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」。ここには、2つの性質(生活の道)の対比があります。それは、肉に従う者と御霊に従う者の対比です。(1)「肉に従う者」とは、古い性質(罪の性質)に従って生きている人のことです。そういう人は、「肉的なことをもっぱら考えます」。つまり、神を無視した生活、自己中心的な生活、罪にとどまる生活が、最大の関心事だということです。その人は、依然としてアダムから引き継いだ性質に従って生きているのです(ちなみに、未信者にはこの性質しかありません)。(2)「御霊に従う者」とは、キリストを信じて新生した性質に従って生きている人のことです。内住の聖霊に心を明け渡して、聖霊との調和の中で生きている人のことです。そういう人は、「御霊に属することをひたすら考えます」。つまり、御霊の思いとひとつになることをいつも願って生活しているということです。
人は、心に抱いているものによって考え、行動します。これは人間理解において極めて重要なポイントです。つまり、肉に従うか、御霊に従うかによって、それ以降の生活がすべて違ってくるということです。パウロはガラテヤ5:19 〜 23でこう書いています。「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」。両者の違いは鮮明です。私たちも、肉の思いを捨てて、御霊に従うことを選び取ろうではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私は肉と御霊の間を揺れ動いています。御霊に従う喜びを常に体験する者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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