1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか─私は律法を知っている人々に言っているのです。─
2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。
3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。
4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
結婚関係の例話を語ってきたパウロは、最後にその例話の適用に入ります。「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです」(4節)
(1)結婚の例話と信者の状態の対比がなされます。① 妻とは信者のことです。② 元の夫とは、律法、あるいは罪の性質のことです。③ そして、新しい夫とはキリストのことです。私たちは元の夫から解放され、新しい夫であるキリストとつながりました。(2)しかし、例話には常に限界があります。結婚の例話では、死んだのは夫でした。信者の状態では、死んだのは妻(信者自身)です。ここでの対比のポイントは、「死んだ者には律法は無力である」という点です。(3)「あなたがたも、…律法に対しては死んでいる」とあります。ここでの動詞は受動態で、時制はアオリストです。私たちが死んだのは、神のわざによるのであり、一度限りのことです。自分の力で死んだのではなく、神の力によって死なせていただいたのです。(4)律法に死に、キリストと結ばれることこそが、実を結ぶための前提条件です。
(1)「私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました」(5節)。救われる前、私たちは律法と罪と死の支配下にありました。私たちのからだを動かしていたのは、主人である「律法と罪と死」でした。(2)「しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです」(6節)。救われてからの状態は、「律法に対して死んだ」状態であり、新しい御霊(聖霊)によって生きている状態です。
もし今、律法による聖化を求めるなら、どういうことになるのでしょうか。死んだ夫との関係が復活します。つまり、律法が働き始めるので、罪の性質が活発化するということです。義認が信仰と恵みによって与えられたように、聖化も信仰と恵みによって与えられます。私たちは律法に対しては死にました。元の主人(律法)との関係が復活することのないように、信仰によって歩もうではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私はあなたによって死なせていただき、あなたによって生かされています。すべて恵みによることです。きょうも信仰によって前進します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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