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ローマ人への手紙7:1 〜 6

1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか─私は律法を知っている人々に言っているのです。─

2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。

3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。

4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。

5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。

6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

結婚の例話(2)

人間的な言い方

パウロは、6:19でこう語っていました。「あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています」。肉の弱さとは、霊的理解力が欠如していることでした。本来なら、霊的話題だけを取り上げて説明するのが一番いいのですが、ローマのクリスチャンたちはまだ霊的に成熟していなかったので、パウロは「奴隷と主人の関係」を例話として用いました。きょうの箇所でも、同じことが起こっています。ここでは、結婚関係の例話が出てきます。これもまた、当時の人たちに理解されやすい例話です。
「夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます」(2 節)。(1)「夫のある女」、あるいは「結婚した女」(新共同訳)という言葉を直訳すると、「男の権威の下にある女」となります。当時の女性の立場を表現した言葉です。(2)「夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています」。モーセの律法では、女性から離婚を申し出る権利は認められていませんでした。夫だけに離婚の権利があったのです。これは、ユダヤ教でも、現代のイスラエル法でも、同じです(離婚は積極的な勧めではなく、消極的な許可です。マタ19:8、申24:1〜4参照)。(3)「しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます」とあります。前回学んだ律法の原則(1 節)から、そう言えます。律法は、死人に適用されないのです。

結婚関係からの解放

「ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません」(3節)。(1)妻は、夫が生きている間は結婚の律法によって制約されていますので、それを破れば、姦淫の女と呼ばれます。(2)しかし、夫が死ねば、結婚の律法から解放されます。従って、再婚しても、姦淫の女ではありません。
このことを通してパウロが言おうとしているのは、キリストとともに律法に対して死んだ私たちは、律法から解放されているということです。私たちの内に罪の性質(原罪)はまだ残っていますが、その性質は私たちに対する法的権利を失ったのです。つまり、信者は罪を犯す可能性はあるが、そうする必然性はないということです。もし罪を犯した場合は、1ヨハネ1:9に従って罪を告白し、赦しを受け取ることができます。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私はキリストとともに十字架につけられました。私は律法に対して死にました。そして、キリストにあって新しい歩みをするようになりました。きょうも、聖霊に導かれて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一24~25、詩篇137 ~ 138