16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ローマ1:16 〜 17は、ロマ書全体のテーマを提示しています。すでに16節は取り上げました。きょうは17節の3回目です。前回も書きましたように、17節は、ロマ書の中で最も重要な聖句です。
パウロは、「『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」と言いました。(1)彼は、「信仰の原則」は決して新しい教えではなく昔から知られていた教えである、すでに旧約聖書に存在すると主張しています。(2)彼が引用した聖句は、ハバクク書2:4です。このように当然のごとくに旧約聖書から引用できるのは、当時の信者が(異邦人信者も含めて)、旧約聖書の知識を相当持っていたからでしょう。(3)いかなるディスペンセーション(経綸、時代)においても、「信仰の原則」は存在しています。
ハバクク2:4の文脈を知ることは、「信仰の原則」を理解する鍵になります。そこで、この聖句の背景を見てみましょう。(1)ハバククの第1の疑問。①神の民ユダの中で暴虐が行われていた。②彼は、それに関して何度も祈ってきたが、神からの回答はない。③神はどうして民の罪をそのまま放置しておられるのか。(2)神の回答。①ユダを裁くための器が起こされる。②その器は、これまた暴虐を特徴とするカルデヤ人(バビロニヤ)である。③この時点では、バビロニヤは注目されることのない小国である。④それゆえ、この国が強国として登場することは、驚愕すべき出来事である。
(3)ハバククの第2の疑問。①ハバククは、イスラエルの民が完全に滅びることはないと確信している。②その理由は、神との間に契約関係があるから。③しかし、なぜユダよりも邪悪なバビロニヤを用いてユダを裁くのか。④これは、第1 の疑問よりも重大な疑問である。(4)神の回答。①神のことばを信じ、それに従って生きる人は信仰者であり、義人である。②ハバククは、神がなぜカルデヤ人を用いてユダを裁くのか、理解できない。③しかし神は、最終的にはすべての問題が解決することを信じるようにハバククに命じる。④次に神は、罪深く傲慢なカルデヤ人は必ず滅ぼされると預言される。
最後にハバククは、神の計画が最善であることを信じる祈りをささげています。「しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」(3:18)。私たちもこの祈りをささげようではありませんか。
きょうの祈り
天の父よ。理解できないような状況に置かれるようなことがあっても、あなたの守りは確実であることを信じます。信仰の原則によって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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