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ローマ人への手紙1:1 〜 7

1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、

2 ─この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、

3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、

4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

5 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。

6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です、─このパウロから、

7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。

あいさつ(3)

しもべという言葉の意味

ロマ書1:1 〜 7はパウロのあいさつ文ですが、きょうはその3回目の学びです。前回は、パウロという名前の意味について学びました。今回は、しもべという言葉を取り上げます。パウロは自分のことを「キリスト・イエスのしもべ」と呼んでいます。しもべとは、ギリシア語で「デューロス」です。つまり奴隷のことです。奴隷には2種類ありました。(1)旧約時代のユダヤ人は、借金が払えない時に自分を売り奴隷となりました。その場合は、自分の意志に反して奴隷となったのです。ユダヤ人の奴隷は、6年間働くと、7年目に解放されました。それがモーセの律法の規定です。「あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は六年間、仕え、七年目には自由の身として無償で去ることができる」(出21:2)。(2)ところが、もしその奴隷がさらに主人に仕えることを選択するなら、それが許されました。「その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる」(出21:6)。耳をきりで刺し通す行為は、その奴隷がその家の所有物になったことを象徴しています。彼は、自由意思に基づく奴隷となったのです。

パウロの自己認識

(1)パウロには、自分はイエスによって買い取られた奴隷であるという認識がありました。「あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません」(1コリ7:23)。(2)パウロが経験した3つのステップに注目しましょう。罪の奴隷から解放された。自由の身となった。自らの選択によって神の奴隷となった。
「キリスト・イエスのしもべ」とは、逆説的言葉です。キリスト・イエスのしもべは、最も不自由であるかに見えて、最も自由です。最も低き所に降ろされたように見えて、最も高き所に引き上げられています。最も弱い者になったように見えて、最も強い者にされています。この真理は、主イエスのことばと符合しています。「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」(マタ10:38 〜 39)。私たちも、キリストのしもべであることを誇りとしようではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私は自由意思に基づく奴隷です。しかも、キリスト・イエスの奴隷です。これが私の唯一の誇りです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ホセア書12~14、コロサイ人への手紙3