7 モーセはいつも天幕を取り、自分のためにこれを宿営の外の、宿営から離れた所に張り、そしてこれを会見の天幕と呼んでいた。だれでも【主】に伺いを立てる者は、宿営の外にある会見の天幕に行くのであった。
8 モーセがこの天幕に出て行くときは、民はみな立ち上がり、おのおの自分の天幕の入口に立って、モーセが天幕に入るまで、彼を見守った。
9 モーセが天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入口に立った。主はモーセと語られた。
10 民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。民はみな立って、おのおの自分の天幕の入口で伏し拝んだ。
11 【 主】は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。
金の子牛事件以降、神と民との対話法が変わる。「・・・モーセはいつも天幕を取り、自分のためにこれを宿営の外の、宿営から離れた所に張り、そしてこれを会見の天幕と呼んでいた」。(1)金の子牛事件の前は、シャカイナグローリーは宿営の中に宿っていた。しかし、民の罪のゆえに、シャカイナグローリーは宿営から離れた。(2)モーセは、宿営から離れた所に天幕を張った。これが会見の天幕である。「会見の天幕」は幕屋を指すこともあるが、ここでは単なる天幕である。モーセは、神と民の完全な和解を達成するために、神と対話する必要があった。その場所がこの天幕である。(3)モーセが天幕に向かうと、民は立ち上がり、彼がそこに入るまで見守った。かつて民は、「あのモーセという者」と言ったが、今は違う。モーセはリーダーとして、神の器として、神と民の仲介者として、民の尊敬を集めた。
(1)モーセが天幕に入ると、雲の柱がシナイ山の頂から地上に降りて来た。その雲の柱は、天幕の入口に立った。そして【主】は、雲の柱の中からモーセと語られた。(2)その光景を見た民は、自分の天幕の入口で伏し拝んだ。モーセが神と話しているという事実の前に、畏怖の念を感じたのである。(3)【主】は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。つまり、【主】がモーセの信仰を良しとされたということである。神は、恐れを与える語り方ではなく、優しく、明瞭に語られた。これは、モーセの側からすると、神と民の和解の可能性が残されているということである。(4)モーセは、民に神のことばを告げるために宿営に戻った。後には、ヨシュアが残った。「ヨシュアという若者」とあるが、これは彼がモーセの従者であり、モーセと比較すると若いという意味である。当時のヨシュアの年齢を計算してみよう。ヨシュアの寿命は110 歳である(ヨシ24:29)。そこから50 数年(荒野の放浪、カナン征服の戦い、土地の分割に要した年数)を引くと、当時は50 代の半ばであったことが分かる。そのヨシュアが、会見の天幕の管理をした。
ここでは、モーセの後継者であるヨシュアが育っていたことが分かる。リーダーの役割の一つは、後継者を育てることである。私たちも、あらゆる方法を通し、またあらゆる機会を捉えて、若者を育てよう。最高の弟子訓練は、聖書研究によってみことばを理解させることである。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。あなたはイスラエルの民に対して忍耐深くあられ、宿営の外にあってモーセにお語りになりました。私に対しても同じ忍耐をもって接してくださることを感謝します。どうか、御声に応答する者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書48~49、コリント人への手紙 第二10
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