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出エジプト記32:30 〜 35

30 翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は【主】のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のためにあがなうことができるでしょう。」

31 そこでモーセは【主】のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。

32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

33 すると【主】はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。

34 しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。」

35 こうして、【主】は民を打たれた。アロンが造った子牛を彼らが礼拝したからである。

モーセの嘆願

モーセの決意

「翌日になって、モーセは民に言った。『あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は【主】のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう』」。(1)モーセは、当面の処置は終わったと判断し、【主】は次に何を求めておられるのかを確かめようとした。(2)「あなたがたの罪のために贖うことができるでしょう」とは、身代わりの死を決意した言葉である。モーセは、民の罪が赦されるなら、自らが死んでもいいと思ったのである。

【主】への言葉

モーセは【主】に向かってこう語った。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」。(1)彼は、民の罪を認めている。(2)その上で、民の罪が赦されるために、自分のいのちを差し出している。

【主】からの言葉

「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく」。(1)裁きは、神の主権によって行われる。それゆえ、今はカナンの地に民を導け、というのである。カナンの地は、神がアブラハムに約束した地である。(2)「わたしの使いが、あなたの前を行く」とあるが、この使いとは被造物の天使であって、メシアではない(出23:20 の「使い」はメシアであった)。つまり神は、民と共に上らないとの結論を出されたのである(33:3 〜 4 参照)。(3)かくして、裁きは延期された。時が来たなら、裁きが行われるのである。35 節の言葉、「【主】は民を打たれた」は、将来の裁きを示したものである。
モーセの自己犠牲の祈りは、ユダの祈りを彷彿ほうふつとさせる(創44:33)。さらに、パウロの祈りにも似ている(ロマ9:1 〜 3)。これらの自己犠牲の祈りは、主イエスの十字架上の祈りに通じるものがある(ルカ23:34)。私たちも、友のためにいのちを捨てる愛を学ぼう。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハ15:13)

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。主イエスの自己犠牲の愛を感謝します。その愛のゆえに、私は赦され、救われました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エレミヤ書44~45、コリント人への手紙 第二8