8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。
9 幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。
幕屋を建設する目的は2 つあった。「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」。(1)幕屋は、王である神が住まう王宮である。イスラエルの民は、大祭司アロンを通して王である神に願いを届け、その返事をそこで受け取る。幕屋は、神が住まう場所、神と交流する場所である。(2)幕屋は、神を礼拝する場所である。人は、思うがままに神に近づき、神を礼拝するのではない。神ご自身が天から下り、民の中に住んで、民の礼拝を受け取ってくださるのであるから、神が定めた方法で神に近づく必要がある。
イスラエルの民は、幕屋の存在を通して、神が聖であることを学んだ。「聖所」(ミクダッシュ)という言葉は、神が聖であることを教えている。神が聖であるとは、神が俗世界から切り離されたお方であることを意味している。私たち罪人がその神に近づくためには、神の方法によらなければならない。このことは、いくら強調しても、強調し過ぎることはない。
「幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない」。幕屋とすべての用具は、その原型が天にある。モーセはその原型を示され、それをそのまま地上に再現した。ヘブル8:5 には、この事実を保証する記述がある。「その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。『よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。』」。幕屋は、神に近づく唯一の方法なので、指定された型に従って作る必要があった。
幕屋は、父なる神の愛を示している。罪人が父のもとに帰るための道は、神が指定したものでなければならない。その道が、幕屋である。幕屋を機能させるためには、祭司といけにえの動物の制度(祭儀法)が必要であった。至聖所には、年に一度、大祭司だけが入って行った。大祭司が犠牲の血を持って至聖所に入るのは、イエスの死を予表したものである。
イエスの死によって、すべての人がイエスを通して神に近づくことができるようになった。イエスは、こう宣言しておられる。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハ14:6)。主イエスを通して、父なる神に近づこう。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。幕屋はあなたから与えられた恵みの道です。私たちには、主イエスが道として与えられています。感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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