8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──
11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。・・・それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」。(1)イスラエルの民は、神との契約関係に入った。それゆえ、彼らは神がなさるようにするのである。神は、6 日間で被造世界を造り、7 日目に休まれたので、イスラエルの民も7 日目に休むのである。(2)安息日は、シナイ契約のしるしである(出31:13)。(3)また安息日は、イスラエルの民が奴隷から自由の民になったことのしるしでもある。奴隷に安息の日はない。週に一度労働から離れるのは、自由の民だけが持っている特権である。その日には、イスラエルの民は、【主】が彼らをエジプトから解放してくださったことと、【主】がすべての必要を満たしてくださる方であることを思い出すのである。
安息日の規定は、モーセの律法の中では非常に重要なものだが、新約時代の聖徒たちが従うべきキリストの律法には、それが含まれていない。つまり、新約時代に生きる信徒たちに、第4 戒が適用されることはないのである。(1)安息日は、キリストを信じた人が経験する霊的状態(平安)の型である。そのことを論じたのが、ヘブル人への手紙の4 章である。(2)新約時代の聖徒たちは、土曜日ではなく、どの日に礼拝をしても良い。パウロはこう教えている。「ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい」(ロマ14:5)。(3)ヘブル10:25 にはこうある。「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」。この教えを実践するなら、信者は定期的に集まり、神を礼拝することになる。定期的に集まるとは、最低週に1 回は集まるということになると思う。
土曜安息が命令であった時代は終わり、定期的に集まる限り、どの日に礼拝しても良いという時代になった。【主】が私たちに安息を与えてくださったことに感謝しよう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は律法から解放された結果、本当の意味で、律法を全うするような生き方ができるようになりました。感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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