1 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、【主】である。
3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
7 あなたは、あなたの神、【主】の御名を、みだりに唱えてはならない。【主】は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──
11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
十戒の内容に入る前に、モーセの律法の7 つの側面について学んでいる。モーセの律法の第3 の側面は、「モーセの律法は、旧約時代の聖徒たちの行動基準である」というものである。モーセの律法は、選びの民として召されたイスラエルの民に、いかに歩むべきかを教えた(モーセの律法は、異邦人に与えられたものではない)。(1)イスラエルの民は「神の宝」、つまり、神の私有財産である。このことのゆえに、彼らは地上の諸民族の中では特別な存在である。(2)彼らは、「祭司の王国」である。つまり、神を王として仰ぐ、祭司的使命を持った国である。彼らには、神と諸国民をつなぐ祭司としての役割が与えられた。(3)彼らは、「聖なる国民」である。つまり、神を知る知識と真の礼拝を保持する国民になる、また、その性質が聖である国民になる、という意味である。
イスラエルの民には、新しい行動基準が必要であった。(1)旧約時代の聖徒たちは、モーセの律法に従って歩んだ。律法を行うことが、彼らにとっての信仰表現であった。(2)イスラエルの民は、罪責感から解放されるために、モーセの律法の教えに従って犠牲の動物を捧げた。モーセの律法が機能している時代においては、それが信仰の具体的表現となった。
新約時代の信者であっても、モーセの律法から多くの適用を学ぶことができる。イスラエルの民にモーセの律法という行動基準が与えられたように、新約時代の聖徒たちにも「キリストの律法」という行動基準が与えられている。(1)2 コリント3:6 に、こう書かれている。「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです」。十戒(文字)には、義認の力も、聖化の力もない。つまり、モーセの律法は救いに関しては無力である。義認も聖化もすべて御霊の御業である。(2)ガラテヤ6:2 にこう書かれている。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」。「キリストの律法」(1 コリ9:21 も参照)は、聖霊によって信者の心の中に書かれた愛の律法である。より具体的には、使徒の働き以降の書簡の中にある教えが「キリストの律法」で、それを実行可能にするのは、聖霊の働きである。「キリストの律法(愛の律法)」を日々実践する歩みを志そう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。キリストの律法を私にお与えくださり感謝します。私の心の中に聖霊によって愛の律法が書き記されていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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