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出エジプト記16:13 〜 21

13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りにつゆが一面に降りた。

14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白いしものような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。

15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは【主】があなたがたに食物として与えてくださったパンです。

16 【 主】が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」

17 そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。

18 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみると、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。

19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」

20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。

21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それはけた。

マナの供給

うずら

「それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた」。(1)夕方になると、うずらが大量に飛来し、宿営をおおった。うずらは、エジプトの方から紅海を超えて荒野に飛来したのであろう。(2)うずらに関する記述は、これだけで終わる。その理由は、うずらのことなら誰でも知っているので、それ以上の記述の必要性がないからである。しかし、マナはそうではない。

マナ

「その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった」。(1)露が上がると、後に何かが残った。それは、白い霜のような細かいものであり、うろこのような細かいものであった。(2)それを見た時のイスラエル人の反応は、「これは何だろう(マン・フー)」というものだった。初めて見る食べ物なので、そう言ったのである。(3)詩篇78:25 には、「それで人々は御使いのパンを食べた。神は飽きるほど食物を送られた」とある。これは、【主】が食物として与えてくださった「天からのパン」である。
モーセは、【主】からの命令を民に伝えた。(1)一人当たり1 オメル(2.3 リットル)ずつ集める。(2)朝まで残しておいてはならない。これは、全部食べよという意味ではない。もし余ったなら、隣人に上げたり、家畜のえさにしたり、捨てたりすることができた。この命令は、日々、【主】に信頼することを教えている。(3)ある者は朝まで、それを残しておいた。その人は不従順であり、不信仰である。彼は、翌朝もマナが供給されることを信じていないのである。(4)朝まで残したマナは虫がわき、悪臭を放った。マナがくさりやすいということではない。腐敗ふはいは、不信仰への罰である。モーセは、民が神の命令に従わないのを見て、怒った。(5)民は、朝ごとにマナを集めた。集められずに残ったマナは、日が熱くなると溶けた。
マナは、主イエスを象徴しょうちょうしている。主イエスは、ご自身のことを「天から下って来たパン」と表現された。「これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます」(ヨハ6:58)。なんとうるわしい比喩ひゆではないか。霊的いのちのみなもとは、主イエスとの交わりにある。主イエスとの交わりによって、日々霊的かてをいただいている人は幸いである。

きょうの祈り

天の父よ。きょうも主イエスからいのちの糧をいただけますことを感謝します。日々のデボーションを祝してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

士師記13~14、ルカの福音書14