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出エジプト記14:15 〜 18

15 【 主】はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。

16 あなたは、あなたのつえを上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ。

17 見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする。彼らがそのあとから入って来ると、わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵きへいを通して、わたしの栄光を現そう。

18 パロとその戦車とその騎兵きへいを通して、わたしが栄光を現すとき、エジプトはわたしが【主】であることを知るのだ。」

【主】からのことば

力強いことば

(1)「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか」。ここには書かれていないが、このことばから、モーセが【主】に向かって叫んでいたことが分かる。彼の祈りは、叫ぶような祈りだったのである。
(2)「イスラエル人に前進するように言え」(新改訳)。新共同訳では、「イスラエルの人々に命じて出発させなさい」とある。祈ることは大切だが、祈りには行動がともなう必要がある。「祈るに時があり、行動するに時がある」ということをしっかりと確認しよう。この局面では、祈りを止めて行動を起こすことが求められている。前進すると言っても、これには大変な決断が伴う。背後から敵が迫って来ているので、海に向かって前進するしかない。イスラエルの民は、海がまだ分かれていない状態で前進し始めるのである。海が分かれてから歩き始めるなら、それは確認である。しかし、海が分かれる前に歩き始めるなら、それは信仰である。信仰とは、まだ見ていないことを確信することである。ここに、私たちへの教訓がある。
(3)「あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ」。エジプトに災いを下すために用いられた杖が、ここでも用いられる。モーセは、杖で海を打つわけではない。ただ、海の上に杖を指し伸ばすだけで、【主】の力は働き始める。これは、みことばへの従順が生み出す力である。
(4)「わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現そう」。ここでの「栄光」は、「カボッド」という言葉である。それには「重みがある、現実そのもの」などの意味がある。エジプト文明はその時代の文明の最高峰さいこうほうであり、エジプトの軍隊は世界最強の軍隊であった。しかし、どのような覇権はけん国であったとしても、【主】の御前みまえでは取るに足りない存在である。目に見える世界ではなく、目に見えない霊的世界こそ、現実であり、力である。
(5)「エジプトはわたしが【主】であることを知るのだ」。紅海の出来事を通して、敵であるエジプトもまた、イスラエルの神の偉大さを知るようになる。イスラエルの神は、ご自身の契約をお守りになる【主】(ヤハウェ)なる神である。
私たちが信じている神がいかに偉大なお方であるか、黙想してみよう。目に見えるものではなく、目に見えない【主】こそ、より現実的な力であることを覚え、この方への信頼を告白しようではないか。

きょうの祈り

イスラエルの神よ。私の人生に介入してくださり、ご自身の栄光を現してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨシュア記9~10、ルカの福音書4