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出エジプト記5:22 ~ 23

22 それでモーセは【主】のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。

23 私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」

出エジプト記5 章の要約

クリスチャン生活のケーススタディ

出エジプト記5 章を要約してみよう。この章には極めて重要な真理が啓示されている。
(1)この章は、クリスチャン生活のケーススタディを提供している。ここに書かれているのは、神の約束が与えられているのに、いくら待ってもそれが成就しそうにない時に感じる葛藤かっとうである。自分がかかえている問題が解決することを期待して、信仰に入る人が多くいる。しかし、キリストを信じると心の中は変わるが、自分を取り巻く状況は変化しないということがよくある。そのような時、人は失望し、神の愛や力に疑問を抱くようになる。この問題に対する解決策は、神の視点に立ち、より広い視野で現状を評価することである(イザ55:8 ~9)。クリスチャンは、光と闇の戦い(神と悪魔の戦い)の中に突入していることを覚えよう。
(2)この章は、神の計画が目に見えないところで進展していることを教えている。全能の神は、直ちにイスラエルの民を救出することが出来た(それが、モーセとイスラエルの民が期待したことである)。しかし、神はその方法ではなく、徐々に約束を成就する方法を選ばれた。それは、パロに悔い改めの機会を提供するためであった。さらに、イスラエルの民には、神の恵みと力を徐々に体験するという恵みが与えられた。私たちの思い通りにならない時でも、神の計画は確実に進展している。
(3)この章は、「神の再発見」のための土台となっている。6 章に入ってから、「神の再発見」がより具体的な形で実現して行く。モーセもイスラエルの民も、先祖の神は【主】という御名を持った神であることを知っていた。しかし、彼らには体験的な知識がなかった。6 章で、神は新たな自己啓示をモーセに与える。「わたしは【主】である」という啓示である。これ以降、イスラエルの民は、【主】という御名の意味を体験的に知ることになる。ヘブル的意味においては、「知る」とは体験的知識を意味する。クリスチャン生活もこれと同じである。パウロは、コロサイのクリスチャンたちのためにこう祈っている。「・・・どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように」(コロ1:9 ~ 10)。神の御業みわざを体験的に知る人は幸いである。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。どうかあなたをより深く、体験的に知ることができますように、私の人生にご介入ください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

レビ記12 ~ 13、箴言9