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出エジプト記5:19 ~ 21

19 イスラエル人の人夫がしらたちは、「おまえたちのれんがのその日その日の数を減らしてはならない」と聞かされたとき、これは、悪いことになったと思った。

20 彼らはパロのところから出て来たとき、彼らを迎えに来ているモーセとアロンに出会った。

21 彼らはふたりに言った。「【主】があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたはパロやその家臣たちに私たちをにくませ、私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです。」

責められるモーセ

怒りのはけ口

パロの厳しい言葉を聞いたイスラエル人の人夫頭たちは、絶望的な思いで宮廷きゅうていを後にした。彼らは、自分たちが予想以上に苦境に立たされていることを認識した。モーセとアロンが「解放の約束」を語り始めてから、状況はますます悪くなって行く。それなら、以前の状態の方がよほど良かったのである。
「彼らはパロのところから出て来たとき、彼らを迎えに来ているモーセとアロンに出会った」。(1)モーセとアロンは、彼らを迎えに来ていた。その理由は、パロの様子、その言葉、その対応などを知るためである。パロに関する情報を収集してから、次の手を考えようとしたのである。(2)しかし、予想外のことが起こった。人夫頭たちの怒りが、モーセとアロンに向けられたのである。「【主】があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたはパロやその家臣たちに私たちを憎ませ、私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです」。(3)彼らが言っていることを要約すると、次のようになる。「荒野に3 日の道のりを行かせ、…」とパロに願ったことは、非常にまずい結果をもたらした。自分たちはこんなに働いているのに、パロからは、なまけていると誤解された。モーセとアロンは、「彼らの手に剣を渡した」のである。この言葉は、彼らに迫害の口実を与えたという意味の慣用句かんようくである。

私たちへの適用

ここで起こっているのは、クリスチャン生活のケーススタディとでも呼べることである。私たちも、同じようなことを度々経験する。私たち人間には、これが最善だと思うプランがある。ところが、いくら祈ってもそれが実現しないと、神の愛と力に疑問を感じるようになる。実際は、神の計画よりも自分の計画を優先させるところから来ている問題なのだが、それが分からないで苦しむことが多々ある。
クリスチャンは、光と闇の戦いに巻き込まれている。そのことを認識しよう。また、キリストの警告に耳を傾けよう。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難かんなんがあります。しかし、勇敢ゆうかんでありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハ16:33)。私たちは、この世にあって患難を経験する。しかし、すでに世に勝った主がともにいてくださるので、勇敢に戦うことが出来る。私たちが平安を持つことが出来るように、このことばが与えられている。

きょうの祈り

天の父なる神さま。患難、勇敢、平安という3つのキーワードをいただきました。きょうも信仰をもってこの世に出て行きます。私を祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

レビ記8 ~ 9、ヨハネの福音書19