1 モーセは答えて申し上げた。「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。『【主】はあなたに現れなかった』と言うでしょうから。」
2 【 主】は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」
3 すると仰せられた。「それを地に投げよ。」彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。
4 【主】はまた、モーセに仰せられた。「手を伸ばして、その尾をつかめ。」彼が手を伸ばしてそれを握ったとき、それは手の中で杖になった。
5 「 これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】があなたに現れたことを、彼らが信じるためである。」
6 【 主】はなおまた、彼に仰せられた。「手をふところに入れよ。」彼は手をふところに入れた。そして、出した。なんと、彼の手はツァラアトに冒され、雪のようになっていた。
7 また、主は仰せられた。「あなたの手をもう一度ふところに入れよ。」そこで彼はもう一度手をふところに入れた。そして、ふところから出した。なんと、それは再び彼の肉のようになっていた。
8 「 たとい彼らがあなたを信ぜず、また初めのしるしの声に聞き従わなくても、後のしるしの声は信じるであろう。
9 もしも彼らがこの二つのしるしをも信ぜず、あなたの声にも聞き従わないなら、ナイルから水を汲んで、それをかわいた土に注がなければならない。あなたがナイルから汲んだその水は、かわいた土の上で血となる。」
神はモーセをエジプトに派遣しようとしておられたが、モーセは4 つの言い訳を並べて神の任命を断ろうとする。すでに最初の2 つの言い訳は見た。①自分には資格がない。②自分には知識が足りない。そしてきょうの箇所では、③自分には力がないという言い訳が語られる。
「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。『【主】はあなたに現れなかった』と言うでしょうから」。なぜモーセは、ここまで否定的な言葉を口にするのであろうか。(1)彼は、40 年前の失敗の記憶(解放者を自認していた時の記憶)に縛られている。私たちはどうだろうか。過去の失敗の記憶に支配されていると、新しい発想や取り組みが出来なくなる。(2)モーセが経験していたこの束縛は、神のことばを否定してしまうほど強いものであった。神は、「彼らはあなたの声に聞き従おう」と約束されたのに、モーセはそれを真っ向から疑っている。(3)モーセが感じていた心配は、自分は「しるし(燃える柴)」を見ているが、イスラエルの民は見ていないのだから、信じないだろうというものであろう。
神は、モーセの3 番目の言い訳に対しても、回答をお与えになった。客観的な根拠や証拠がないのに信仰を迫るのは、カルトや新興宗教の特徴である。それに対して、聖書信仰の確かさは、無数の歴史的証拠によって証明されるものである。聖書信仰は、「理性的理解」と「単純な信仰」のバランスの上に成り立つものである。
この箇所で、神は、理性的理解が可能な「3 つのしるし」をモーセに与える。しるしを与える目的は3 つある。①モーセの信仰を強めるため、②モーセが神から遣わされたことをイスラエル人たちに示すため、③イスラエルの神がエジプトの神々よりも強力であることをパロに示すため。この3 つのしるしは、「文化的なしるし」と呼ばれるものである。つまり、当時の人々に理解出来るような内容のしるしだということである(詳細は次回に取り上げる)。
モーセの言い訳は、私たちにも理解出来る。私たちも、「自分には力がないから出来ない」と何度思って来たことだろうか。しかし大切なことは、出来ない理由を考えるのではなく、神とともに何が出来るかを考えることである。私たちとともにおられる神が、どういうお方であるかを考えよう。否定的人生観を脱却し、神に信頼して歩む人生を送ろう。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。私たちを束縛しているあらゆるものから、私を解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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