1 さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。
2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。
3 イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。
4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。
5 ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。
(1)創世記は、光と命から始まり、死と闇で終わった。そうなった原因は、アダムの罪と、それ以降の世代への罪の広がりにある。このまま行けば、人類の将来には何の希望もない。(2)しかし神は、人類を見捨てずに、解決策を用意された。その解決策の始まりが、アブラハムの選びである。神は、偶像礼拝者の息子であったアブラム(当時)を選び、カルデヤ人のウルからカナンの地へと召し出された。神がアブラハムと結んだ契約を、アブラハム契約と言う。聖書の神は、契約を結ぶお方である。(3)アブラハム契約は、イサク、ヤコブ、そして12 人の息子たちに継承された。ヤコブの一家がエジプトに移住した時点で、彼らには2 つの明確な約束が与えられていた。①やがて一大民族となって、カナンの地で自由な民として生きるようになる。②全世界の民族を祝福する器となる。(4)このような約束があるとは言え、現実は非常に厳しいものであった。彼らは、エジプトで約400 年間奴隷となる。神はご自身の約束をどのようにして果たされるか。これが、出エジプト記が始まった時点での疑問である。(5)出エジプト記は、2 つのセクションに分かれる。① 1 ~ 18 章は、イスラエルの民の苦難とエジプトからの解放を扱っている。② 19 ~ 40 章は、贖われた民の神への礼拝を扱っている。
(1)日本語の「出エジプト記」は、ギリシャ語(70 人訳聖書)では「Exodos(エクソドス)」、英語では「Exodus(エクソダス)」、ヘブル語では「ヴァエレー・シュモット」(さて、これらが名前である)である(1 章1 節の最初の部分がタイトルになっている)。(2)ヘブル語の書名は、出エジプト記が単独の書ではなく、創世記とつながった書であることを示している。事実、モーセの五書は、元は一冊の書であった。(3)出エジプト記は、解放の書である。これ以降のイスラエルの歴史に起こるすべての解放の型が、ここにある。①バビロン捕囚からの解放、② 20 世紀のイスラエルの建国、③ 1990 年代の旧共産圏からのユダヤ人の祖国帰還などが、それである。と同時に、出エジプト記はメシアであるイエスによる霊的解放の型ともなっている。そういう意味で、出エジプト記は私たちの解放の物語でもあるのだ。
出エジプトの出来事は、アブラハム契約というレンズを通して読まなければならない。私たちの神は、ご自身の約束をすべてお守りになる。このことのゆえに、私たちはきょうも神に信頼を置くのである。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたの約束は必ず成就します。どうか私が、キリストにあって自由の民として生きることができますようにお助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
創世記 37~38、マルコの福音書 13
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