16 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
ついに弟子たちは、ガリラヤで復活のイエスに出会った。「そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った」。「ある者は疑った」とは、どういう意味なのか。以下の3 つの説明が考えられる。(1)11 弟子たちは、エルサレムで何度か復活のイエスに出会ったが、それでも、復活はあまりにも不思議な出来事なので、まだ疑いがあった。(2)「疑った」というのは、復活のイエスに出会うまでの経験を指している。事実、トマスだけでなく、使徒たち全員が最初は疑ったのである。(3)11 弟子以外に500 人の弟子たちがいて、その中に疑う者がいたという意味である。いずれの解釈を採用するにしても、復活は弟子たちが予想もしなかった出来事であったことが分かる。
イエスは弟子たちに、いわゆる大宣教命令を与えた。(1)大宣教命令の根拠は、復活した御子イエスに、すべての権威が与えられているということである。イエスは、権威をもって弟子たちを派遣することができる立場にお着きになった。今もイエスは、すべての権威を持っておられる。(2)大宣教命令のゴールは、「あらゆる国の人々を弟子とする」ということである。(3)大宣教命令を達成する方法として、具体的に以下の3 つのことが命じられている。①「行って」。人々を弟子とするためには、出て行って人々に福音を語らねばならない。これが伝道である。しかし福音を信じても、自動的に弟子になるわけではない。その次のステップが必要である。②父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授ける。これは三位一体の神の御名によってバプテスマを授けるという意味である。この時までは、様々なバプテスマが実行されていた。異邦人がユダヤ教に改宗したときに受ける洗礼、バプテスマのヨハネが与えた悔い改めの洗礼など。それらと区別するために、「父、子、聖霊」という三位一体の神の御名によって洗礼を授けるのである。③イエスが教えてくださったすべてのことを行うように、人々を教えること。使徒たちは、イエスから直接学んだことを他の人たちに教えるようにとの命令を受けた。
伝道し、バプテスマを授け、イエスの教えを教えることによって、弟子作りが行われる。イエスは、世の終わりまでいつも私たちと共にいてくださる。これは大いなる励ましであり、希望である。神の計画は必ず成就する。勇気をもって、大宣教命令を実行しよう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。主イエスは、きょうもまた世の終わりまでも私とともにいてくださいます。勇気をもって立ち上がることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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創世記 35~36、マルコの福音書 12
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