1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
イエスの復活を最初に目撃したのは、女たちであった。四福音書に記録された復活物語を読み比べてみると、内容が矛盾しているかのような印象を与える箇所がある。しかしそれは、イエスの復活の歴史性を否定する証拠ではなく、むしろその真実性を保証するものとなる。法律家たちは、複数の証人たちの証言が細部に至るまで一致している場合は、事前に口裏合わせがあったと判断する。証人たちが真実を述べている場合は、細部に違いはあっても、大筋において一致しているという現象が起こる。イエスの復活を伝える記録には、そのような特徴が見られる。
マグダラのマリヤは、ほかの女たちとは別行動を取ったのだが、マタイはそれをまとめて、「マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た」と書いている。(1)彼女たちは、イエスが復活することを全く予想していなかった。(2)すると、大きな地震が起こった。イエスが十字架上で死んだ時にも地震が起こった(27:51 ~53)ので、これが2 度目の地震である。(3)主の使い(天使)が天から降りて来て、石をわきに転がした。当然、ローマの封印はその瞬間に破られた。(4)主の使いを見た番兵たちは、その主の使いを逮捕することを忘れ、恐ろしさのあまり震え上がった。「死人のようになった」とは、恐ろしさのあまり、前にも後ろにも動くことができなくなったということである。天使の顔は、いなずまのように輝き、その衣は、雪のように白かったからである。
復活の神学的意味について考えてみよう。(1)復活は、イエスが神の子であり、死に勝利された方であることを証明した(ロマ1:4)。(2)イエスを信じる者にとっては、罪の赦し(義認)が保証された(ロマ4:24 ~25)。(3)また、イエスを信じる者が永遠のいのちによみがえることが保証された(2 コリ4:14)。(4)さらに、奉仕するために必要な力が保証された(エペソ1:17 ~19)。
もしイエスが復活されなかったのなら、聖書に記された福音のメッセージは、実体のないむなしいものとなる。しかし事実、イエスは復活された。主イエスは、ローマの封印を破り、兵士たちを死人のようにすることができたお方である。このお方は今も、地上のあらゆる権威の上に立っておられる。死に勝利された復活の主イエスから目を離してはならない。きょうも、主イエスを仰ぎ見ながらこの世に出て行こうではないか。
きょうの祈り
天の父よ。主イエスは復活されました。主イエスは、地上のいかなる権威や力よりも強いお方です。きょうも、主イエスを見上げて歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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創世記 29~30、詩篇 5~6
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