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マタイの福音書26:17 ~ 25

17 さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」

18 イエスは言われた。「都に入って、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう」と言っておられる』と言いなさい。」

19 そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。

20 さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。

21 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」

22 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。

23 イエスは答えて言われた。「わたしといっしょにはちに手をひたした者が、わたしを裏切るのです。

24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」

25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。

過越の食事

過越の食事の順序(1)

一般に、「最後の晩餐ばんさん」として知られている食事は、ユダヤ人が食する過越の食事のことである。異邦人いほうじんである私たちには、過越の食事の順序を理解するのは容易なことではない。過越の食事は、通常次のような順序で進んで行く。(1)第一のさかずきが配られる。この杯は、「感謝の杯」と呼ばれる。(2)次に、その家の母か娘が水の入った鉢とタオルを持って回る。食卓に着いた人たちは、その水で指を洗い、タオルでく。最後の晩餐では、イエス自らがその役割を行われた。しかもイエスは、弟子たちの指ではなく、足を洗われた。(3)それが終わると、第二の杯が配られる。これを「裁きの杯」と呼ぶが、福音書にはこの杯への言及はない。福音書の読者たち(当時のユダヤ人たち)はそのことをよく知っていたので、書く必要がなかったのである。(4)それから、パセリ(カルパスという)を塩水に浸して食べる。パセリの緑色は、若さの象徴である。つまり、この行為は、「イスラエルがまだ若い国であったとき、神は彼らに紅海を渡らせ、彼らをエジプトから救われた」ということを象徴的に表しているのである。(5)次に、種なしパンを食べるが、これ以降の手順については、次回詳細に学ぶ。

ユダへのことば

さてイエスは、弟子のひとりが自分を裏切ると予告された。イエスは、ユダが自分を裏切ることをご存じだったのである。イエスは、「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです」と言われた。これは、上の(4)で説明したパセリ(カルパス)を塩水に浸す行為である。塩水を入れた鉢は、数人に1 つの割合で置かれていた。イエスとユダはとなり同士に座っていたので、同じ鉢の塩水にパセリを浸して食べたのである。ここでイエスは、ユダだけに分かる形で警告を発しておられる。最後の最後まで、イエスはユダがい改めることを願われた。しかしユダは、「まさか私のことではないでしょう」と、欺瞞ぎまんに満ちた言葉を口にした。神の恵みをあくまでも拒否きょひし続けるなら、その者には救いの可能性は残されていない。
神の前で正直に自分の罪や過ちを告白する者こそ、最後に祝福を受ける者である。「まさか私が罪人だと言うのではないでしょうね」とあくまでも主張するなら、その人は神のゆるしを経験しないままで死ぬことになる。私たちに関しては、主の恵みにりすがり、永遠のいのちをいただこう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたの計画は必ず成ります。どうか私を、御国のために用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二21~22、ヨハネの黙示録17