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マタイの福音書23:6 ~ 12

6 また、宴会の上座じょうざや会堂の上席が大好きで、

7 広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。

8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。

9 あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。

10 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。

11 あなたがたのうちの一番偉大いだいな者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。

12 だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

群衆と弟子たちへの教え(2)

権威ある称号

イエスは、パリサイ人たちの4 つの間違いを指摘した。前回は最初の3 つの間違いを取り上げたので、今回は4 番目の間違いについて学ぶ。この箇所で指摘されているのは、「権威ある称号を求める」という間違いである。パリサイ人たちは、単に権威ある称号だけではなく、それに伴う特権を求めた。誤解されやすい箇所なので、ユダヤ的背景を考慮しながら解釈してみよう。
ここでの文脈は、「教師と生徒の関係」である。当時、生徒が教師を呼ぶ呼び方として4 つのものがあった。(1)ラビ(rabbi)、(2)先生(teacher)、(3)父(father)、(4)師(master)。これらの称号を獲得した人は、生徒に対して不当とも思えるほどの権威を行使した(肉の父を「父」と呼ぶことが禁止されているわけではない。これはあくまでも、「教師と生徒の関係」を論じたものである)。例えば、当時のラビたちは、自分の生徒の職業や結婚の分野にまで決定権を行使していた。これでは、ラビが生徒の人生を支配しているのと同じことである。また、ラビは生徒の人生で最も大切な人と見做された。例えば、もしラビと父親とが同時に誘拐ゆうかいされ、身代金を要求されたとする。生徒は、父親を助ける前に、ラビを助けるための金を集めなければならないとされた。このような考え方をし進めていけば、カルト的集団が出来上がる。イエスが禁止されたのは、ある人が別の人の上にこのような絶対的権威を振るうことである。

私たちへの適用

イエスの真の弟子の特徴は、次の聖句によって知ることができる。「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません」。また、仕える人には次のような祝福が約束されている。「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」。日本の習慣では、相手を尊敬する意味で、「先生」という言葉を使う。この習慣と、ここでイエスが教えておられる内容とは矛盾するものではない。私たちに必要なのは、バランス感覚である。聖書は、教会内に教師、牧師がいることを認めている。また、主にあって労している人を敬うようにとも教えている。では、私たちはどうすればいいのか。みことばを教えている指導者を敬うべきである。と同時に、指導者が大きな権威を行使することに伴う弊害へいがいも知るべきである。最後に、自分を低くする者が高くされるということを思い出し、謙遜けんそんという御霊の実をつけることができるように励もう。

きょうの祈り

天の父よ。私の周りに主にある教師が置かれていることを感謝します。主にあって労している人たちを敬うことができますように。また、その人たちが主を恐れつつキリストの律法を全うできますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一6~7、ヨハネの黙示録1