15 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。
16 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。
17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」
18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。
19 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。
20 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」
21 彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
22 彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。
エルサレムに入城したイエスは、4 種類の人たちからの挑戦(吟味)を受ける。この箇所では、2 番目の人たち(パリサイ人とヘロデ党の者たち)がイエスを吟味する。政治的には、パリサイ人は反ローマ、ヘロデ党は親ローマである。普段は敵対していた者同士が、イエスを共通の敵として行動をともにしている。
彼らは政治的テーマをぶつけることで、イエスを有罪に追い込もうとした。「カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか」。これは、どちらに答えても窮地に陥るような種類の問いであった。(1)「イエス」と答えると、民衆は怒る。カイザルに税を納めるということは、カイザルが王であり、ローマがユダヤの上に権威を持っていることを承認したことになる。それは、真の王であるイスラエルの神を退けたことと見做される。もちろん、イスラエルの民は間接的にはローマに税を納めていたが、ここで論じられているのは、直接的、かつ積極的に税を納めるべきかどうかということである。(2)「ノー」と答えると、イエスは反逆罪のためにローマの官憲によって逮捕され、死刑に処せられる。これは、イエスに敵対する者たちが最も望んでいたことである。
イエスは、その知恵によって、この難問を退ける。ローマに納税するために使用するデナリ貨には、「カイザル」の肖像が刻まれていた。この貨幣を持つことは偶像礼拝に当たると考えられていたため、ユダヤ人たちがこれを神殿税のために用いることはなかった。イエスはこの貨幣を手に取って、こう宣言された。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」。この宣言によって確認された原則は、次のようなものである。(1)権威には、神の権威とこの世の権威(政府)の2 種類がある。創世記9 章以降、どの時代でも地上にはこの世の権威(政府)が存在していた。(2)この世の権威は神によって立てられたものであるから、その権威に従ったからといって、神の権威を否定したことにはならない。(3)この世の権威は一時的なもの(ローマもいつか滅びる)で、やがて恒久的な権威が確立される。それはダビデの子(メシア)が統治するメシア的王国において確立されるものである。
ジレンマに直面したとき、神の知恵を求めようではないか。信仰による祈りは、神の知恵を引き出す鍵であり力である。物理的力ではなく、目に見えない知恵こそ問題を粉砕する神の力である。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。今私は、上からの知恵を求めます。どうか私が、あなたの知恵によって判断し、行動するしもべとなれますように、私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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