24 また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」
25 彼は「納めます」と言って、家に入ると、先にイエスのほうからこう言い出された。「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか。」
26 ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。「では、子どもたちにはその義務がないのです。
27 しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」
イエスの一行がカペナウムに戻ってくると、宮の納入金を徴収する人が、ペテロのところに来てこう言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか」。(1)宮の納入金とは、幕屋(当時は神殿)を維持するための献金である。イスラエル人たちは、毎年半シェケルの納入金を納めるように命じられていた。(2)大切なことは、この規定がモーセの律法に記されていることである(出30:11 ~16)。この規定は、口伝律法ではなく、モーセの律法である。それが、この箇所を理解するための鍵となる。(3)半シェケルの納入は、過越の祭り(3 月頃)の時にエルサレムで行ってもよいし、別の場所でひと月早く納めてもよいことになっていた。(4)この年のイエスは、およそ半年の納期遅れになっていたようである(仮庵の祭りが近づいていたので、それが分かる)。ペテロはどうしていいか分からず、その場しのぎの回答をした。
この箇所から、主イエスのどのような性質が見えてくるだろうか。主イエスの真の姿が見えてくると、私たちは自然に祈りと礼拝へと導かれる。イエスは何が起こったかをご存じで、この機会を捉えてペテロを訓練された。(1)当時、ローマ市民は税を納めなくてもよいことになっていた。ローマ帝国は、被支配民族から、人頭税、通行税、物品税などの形で税を徴収していた。また、貢として集まってくる資金もあった。(2)ローマ以外の王国では、王の臣民が税を納めることもあったが、その場合でも、王の子どもたちが税を納めることはなかった。(3)それなら、イエスには宮の納入金を納める義務がないということになる。なぜなら、イエス自身が宮(神殿)の主であり、神の国の王だからである。また、イエスを信じる者は「王の子どもたち」なのだから、税を納める必要はないのである。(4)しかしイエスは、人々につまずきを与えないために、宮の納入金を納めようとされた。その理由は、これがモーセの律法の命令だからである。(5)イエスの指示によってペテロは釣りに出かけ、最初に釣れた魚の口からスタテル貨(1 シェケルに相当する額)を取り出した。ペテロはそれを使って、イエスと自分のために納入金を支払った。
イエスは神の国の王であり、私たちはその子どもであることを覚えよう。と同時に、神を知らない人たちに不必要なつまずきを与えないためには、どのように振る舞ったらいいのか、黙想してみよう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私に神の子としての特権を与えてくださり感謝します。その特権を正しく行使することができますように、私に知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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