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マタイの福音書17:9 ~ 13

9 彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たまぼろしをだれにも話してはならない」と命じられた。

10 そこで、弟子たちは、イエスに尋ねて言った。「すると、律法学者たちが、まずエリヤが来るはずだと言っているのは、どうしてでしょうか。」

11 イエスは答えて言われた。「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。

12 しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」

13 そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。

エリヤに関する疑問

弟子たちが抱いた疑問

山を降りる時、イエスは、ご自身が復活するまでは変貌山での出来事をだれにも話さないようにとお命じになった(ユダヤ人の指導者たちがイエスを拒否して以降、イエスは「宣べ伝えるな」という新しい方針を採用しておられた)。それを聞いた弟子たちの心に、さまざまな疑問がいてきた。「人の子が死人の中からよみがえる」とはどういうことなのか。 エリヤの役割とメシア的王国の関係はどうなのか(律法学者たちは、メシア的王国が到来する前にエリヤが戻って来ると教えていた)。 さらに、バプテスマのヨハネとエリヤの関係はどうなのか。

イエスの答え

イエスは、これらの疑問にお答えになった。(1)マラキ書は、メシアの先駆者せんくしゃがふたり用意されていることを預言している。 マラキ3:1 は、初臨の際に登場する先駆者について預言している。「見よ。わたしは、わたしの使者をつかわす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。・・・」。この預言では、先駆者の名前が伏せられている。新約聖書になって、それがバプテスマのヨハネだということが明らかになる。 マラキ4:5 ~6 は、再臨の前に登場する預言者について預言している。「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。・・・」。この預言では、エリヤという名前が上げられている。弟子たちの混乱の原因は、メシアの来臨には初臨と再臨のふたつがあることを理解していなかったところにある。
(2)以上のことをまとめると次のようになる。 バプテスマのヨハネは、エリヤの「型」として登場した。「エリヤはもうすでに来たのです」とは、そういう意味である。 人々は、エリヤの「型」として登場したバプテスマのヨハネを苦しめ、殺した。メシアであるイエスもまた、それと同じ扱いを受けるようになる。 再臨の前には、エリヤ自身が遣わされる。
ユダヤ人たちは今でも、過越の食事で、エリヤのための席を用意する。彼らは、エリヤの到来と、それに続くメシアの来臨を今も待っているのである。私たちは、メシアはすでに来られ、救いを達成されたことを知っている。いま私たちが待っているのは、再臨のメシアである。きょうも、人知をはるかにえた約束と啓示が与えられていることを喜びとし、この世に出て行こう。

きょうの祈り

天の父よ。私たちに啓示された真理のすばらしさのゆえに、御名をほめたたえます。きょうも主の再臨を待ち望みつつ歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

哀歌3~5、ヘブル人への手紙13